仙林 寛実 Tambasasayama-kyoto
「学生の頃と今では地元への感じ方が違います。今の方が丹波篠山に住んでおられる方の温かさを感じますね。」このようにお話されるのは、Uターンされた仙林さんです。学生の頃に都市部で暮らしたいと思い、地元を離れられた方は多いのではないでしょうか。仙林さんもそんな一人でした。
早く地元を離れたいと思っていた学生時代
―― 高校卒業後に地元を離れられたのですか?
「外国語を勉強したいと思い、京都の大学に通うために地元を離れました。正直に言うと、高校生の頃は早く離れたいと思っていました(笑)。どうしても思春期の頃は自分の憧れるイメージ像があり、それを追い求めたと思います。」「大学で外国語を学び、卒業後は免税店で働き、ヨーロッパのお客様を相手に外国語で接客していました。仕事が楽しく、非常に有意義な時間でしたね。」
親の側で過ごすために地元に戻る
―― 丹波篠山に戻られようと思ったきっかけは?
「母が病気になり、側にいたいと思ったことがきっかけですね。いずれは親の側で暮らしたいという想いが学生の頃からあり、ちょうど結婚した時期で出産や子育てを考えると今しかないと思い、決断しました。」
―― Uターンされてみてどうでしたか?
「近所の方々に良くしていただきました。子どもを連れて近所を散歩していると、“可愛いね、抱かして~”とよく声をかけてくれましたね。子育て中は子どもに付きっきりで面倒を見ていて、なかなか一人の時間をつくって息を抜くことができませんでした。でも、近所の方々が面倒を見てくださっている時は、自分一人の時間ができ、のんびりもできました。」
「また、近所のおばさまたちにはよく子育ての悩み相談に乗っていただきました。“自分の時の子どもはこうだったよ”と教えていただいたので、子育てのストレスはなかったです。本を読んでも、自分の子育ての方法は間違っているのかなと悩んでばかりでしたが、身近に気軽に質問できる人がいて助かりました。」
―― 学生の頃と比べて、近所の方への感じ方は変わりましたか?
「温かく見守ってくださっていると感じるようになりました。もし、自分に問題が起きた時、助けていただくのは、遠くに住む親戚よりも近所の人たちではないかと思います。」
地域の人たちとともに安心感のある暮らし
仙林さんは、まちづくりに関わるような地域を支える活動に参加する機会も多いです。
「昨年は、春日神社のお祭りで運営のお手伝いをさせていただきました。祭礼の細かい“しきたり”を教わりながら、務めさせていただきました。なかなか大変な仕事でしたが、貴重な体験をさせていただき、
地域の皆さんと交わって取り組めたことが何より嬉しかったです。」身近な人のために、そして自分が住むまちを盛り上げるために活動することは非常に”やりがい”があります。
「自分ができる範囲で参加すれば大丈夫です。同じ地域で暮らす人たちと助け合いながら暮らしていくのは、安心にもつながります。」
仙林さんの話を聞いていると、地域のコミュニティに参加することは煩わしいものではなく、困ったことがあったときに気軽に助け合えるゆるやかな繋がりだと感じました。無理しすぎず周りの助けを借りながら暮らしていける場がここにはあります。