農業はじめの一歩18

農業はじめの一歩18

白椿農園 仲島 麻央(なかしま まお)さん

現住所 〒669-2802 兵庫県丹波篠山市大山宮293

経営品目:黒大豆・大山スイカ

経営面積:1.6ha

Instagram:shirotsubaki_farm

 

 

〜今ある魅力を無くさないために!〜

 

—— 移住されたことをきっかけに、大山地区で昔から栽培されている「大山スイカ」に出会われた仲島さん。「大山スイカ」生産者の減少を食い止める力になれば!と就農の道を選び、地域へ貢献したいという思いを胸に日々奮闘されています。——

 

 

「暮らし」から感じた「丹波篠山の魅力」

 

私の親が丹波篠山に移住を決め、伊丹市から一緒に来ました。正直、丹波篠山のことをあまり知らずに大山地区に入りました。当時20代の私には、コンビニも車で行かないといけない「不便な田舎暮らし」という印象でした。母の経営する「カフェと野良着の店 白椿(しろつばき)」を手伝っていると、ご近所の方々と接する機会が多くありました。ここの風習なども、皆さんとても親切に教えてくださいました。その「温かみ」が、自分自身がもっと地域に馴染むためにはどうしたらいいのかを考えるように突き動かしてくれたのだと思います。黒枝豆をはじめとする農産物の美味しさや今もなお守られている田園風景の背景にある「丹波篠山の人たちの心」が本当の魅力の源であることに気付かされました。

 

 

 

 

地域の皆さんともっと会話がしたい!

 

この地に来るまで私自身は人見知りで、初対面の方と会話することもままなりませんでした。しかし、地域の皆さんに受け入れてもらうために、もっとコニュニケーションを図りたいと思うようになり、皆さんが取り組まれている「農業」が最も良い共通の話題だと考えました。そこから私の就農への道が始まります。「若い子が畑をしとってんやな」と農作業のノウハウを丁寧に教えてくださいました。私の「人となり」を理解して受け入れてくださることが本当に嬉しかったです。

会話の中で、高齢化や継承者が少なく大山スイカの生産者が減少していることを知り、「やってみないか」というお声がけをいただきました。永年取り組まれている大山スイカがなくなってしまうのは、勿体無いです。大山スイカを守っていくことで、私が地域の思いに応えることができるのであればと、経験はなくとも大山スイカの生産に足を踏み入れることに迷いはありませんでした。

 

 

 

「大山スイカ」生産者の大先輩は偉大すぎる!

 

黒枝豆の生産はある程度マニュアル化されていますが、大山スイカの生産方法は、「口伝え」です。例えば、出荷する時に良いものができたかどうかは、性質上、割って確かめることもできません。「まだ若い(未熟)」とか「中が空洞になっている」とか、私にはまだわかりません。3040年の経験をお持ちの大先輩方に尋ねると、「なんでわからへんねん。叩いたらわかるやないか。」と手で叩いて判断されます。質問をすると、次元が高すぎる答えが返ってきます。私は、そこに至るまでのプロセスがわからないんですよ。経験から培われた言葉には重みもあり、何もかもが偉大すぎて、必死に学ぶしかありません。「口伝え」であるからこそコミュニケーションをとることが非常に重要で、「会話」をすることこそが私の望むところでもあります。

 

 

 

繊細な作業と体力のいる作業

 

スイカの栽培は、「炭疽(たんそ)病」との戦いでもあります。6月の梅雨入り後に雨が降ると、その跳ね返りの泥が原因で葉に傷がつき、そこから病気になります。作業の時にツルを踏むことも、収穫の時に切ることすら病気の原因になります。一つの見落としで全滅することもあります。気が抜けないところが大山スイカ栽培の大変なところです。雨になると心配で眠れません。

不要なツルをこまめに取り、良い雌花を作る等、収穫するスイカのランクを落とさないようにするのが大切で、一つ一つの作業はとても繊細です。

今年は、300本の苗を植えたので、収穫は1000個ほどです。1玉8kg15kgですから、収穫時期には、1tを運び出します。もちろん手作業ですので体力勝負です。学生の頃に水泳で鍛えた体が役立っています(笑)。

 

切磋琢磨できる「仲間」を作りたい!

 

丹波篠山で「新規就農」を志しておられる方が多くいらっしゃると思います。そんな若い方に大山スイカを知って興味を持っていただき、生産者を増やしていきたいです。整備されていない畑が多く、新規就農にはハードルが高いかもしれませんが、少ない面積で収穫量も見込めます。一緒に大山スイカを盛り上げ、切磋琢磨できる仲間が欲しいですね。そのためには私がいいものを作って、地域に馴染む足がかりとなり、「大山地区での就農」を魅力あるものだと感じていただけるよう、今はしっかりとしたベース作りの段階です。私にとっては、「大山スイカを絶やさずに残す」ことこそが意義あるものなのです。

 

 

 

 

—— 丹波篠山に移住して、生活する上で本当に必要なものを見直すきっかけになったと話される仲島さん。人見知りの性格だったとは思えないほど、和かに熱く語られるほどの変貌をもたらした「丹波篠山の人の温かみ」は、仲島さんの心をしっかり包み込んでいるのです。そして地域の貢献を胸に「人の温かみ」を引き継ごうと頑張っておられる仲島さんが、次の覚醒を生み出す力となられることと思います。——

 

 

20228月)