田中 舞 Tambasasayama-Osaka
学生の頃と社会人になってからだと、地元の見え方が変わります。そのようにお話されるUターン経験者が多いように感じます。インタビューした田中さんもそんな一人でした。田中さんは大阪にある健康・福祉系の大学に通うためにふるさとを離れ、卒業後に学校の保健室の教員としてUターンされました。
丹波篠山へUターンと大阪への未練
「高校生の頃から、学校の保健室の先生になりたいと思っていました。教員免許は取得したのですが、兵庫県の教員採用試験に受からず、地元に戻って1年目は中学校で非常勤講師として働きました。」
―― 大学時代を過ごされた大阪ではなく、丹波篠山を選ばれたのですか?
「大阪は大学の友達も多く、働く場所としてもいいなという気持ちはありました。しかし、親に帰ってきてほしいと強く希望され、ふるさとに戻ってきました。」
―― 大阪で働くことに未練はなかったですか?
「ありましたね。地元に戻った後に、一度大阪のとある自治体に保健室の先生として働く希望を出したことがあります。でも、空き枠がなく丹波篠山に残りました。地元に帰ってきて初めの頃は少し気力が落ちました。大学の友達も地元の仲の良い友達も大阪にいて、毎週大阪に遊びにいっていました(笑)。ただ時間の経過とともに、慣れてきましたね。」
懐かしい人たちとの再会。そして、新しい出会い
戻ってこられた当初は、初めての仕事や友人と離れてしまう寂しさで苦労されたそうです。しかし、次第に人とのつながりもでき、暮らしが変わったとも言われています。
「地元で最初に非常勤の保健室の先生として赴任した中学校では、私が中学生の時に教えていただいた先生と一緒に働くことができました。
すごく不思議な気分でしたね。当時、先生と呼んでいた方に先生と呼ばれること(笑)。地元に残っている同級生は教員になった人も多く、同級生との再会も嬉しかったですね。」
「実家で家族と一緒に住むのはやはり心強いです。仕事をしていた頃は、家事のことは気にせず仕事に集中できました。子どもはまだいないのですが、子どもができた時には両親に子育てについて相談したり、助けてもらおうと思っています。また、近くに祖母が住んでいるのですが、何かあってもすぐに連絡できるので、お互いに安心ですね。」
お隣の丹波市出身の方と結婚され、現在は旦那さんと二人での生活を送られています。
「今は両親が仕事のため外国で暮らしていることもあり、私の実家に夫と二人で住んでいます。今後ものんびりと過ごせればと思います。たぶん、ここに永住すると思います。」
懐かしい友人との再会や素敵なパートナーとの出会い。そして、家族と一緒に過ごす時間が増える。地元に戻り、今までの人間関係を一度リセットし、新しく築いていくのも良いかもしれません。