認定農業者
きりのやま農園 三原 宏明(みはら ひろあき)さん(41歳)
代々受け継がれた農地を引き継ぐ道を選び、伝統野菜である“山の芋”を作ることで、丹波篠山の良さに改めて気づきました。丹波篠山の魅力を「自分の作った特産品」を通じて、多くの方々に知っていただけるよう頑張っています!
・現住所 丹波篠山市佐倉 ・経営品目 山の芋、黒豆、コシヒカリ ・経営面積 460A ・インスタグラム #きりのやま農園
自分の志す“ものづくり”が農業にあった!
「ものづくり」に関わることが学びたいと地元の高校を卒業後、大阪芸術大学に進学しました。都会への憧れもありましたし、都市部にこそ文化があると思っていました。大学卒業後は、阪神間で美術の教師をしていましたが、やはり「ものづくり」に携わる仕事につきたいという思いが強く心にありました。そんな時、「古代ものづくりとは、作物を作ることだ」と知り、衝撃を受けました。父が祖父から営農を受け継ぎましたが、体力的にきつくなっていた時期でもありました。そこで、地元で就農している同級生に相談したことで、丹波篠山の農業を見直すキッカケをもらいました。「農業をやっていく=(イコール)起業やからな。自分の計画がしっかり立てられないと手を出しては行けない」と厳しいことも言われました。同時に「農業も文化だ」と捉え直しができ、やってみようと決意しました。
「山の芋」への熱い思い
祖父の手伝いをしながら、小さい頃から見ていた山の芋づくりですが、いきなりできるものではありません。農大の講座や地域の講座に1年ほど通い流れを勉強しました。自分の家の農地を実践に使いながら、ノウハウを自分の中に作っていくことから始めました。良いことをされている農家さんがあると聞けば、積極的に質問に伺いました。自分がやると決めたのだから、いい加減なことはできませんしね。目的を決めた時点で、手段は選んでいられません。無駄な作業を省き、手間を必要とするところは惜しまず、食物という生き物と対話しながらの作業です。経営の面では、効率よく良いものを多く取れる土作りや肥料の見直しを毎年考えて工夫しています。しかし、自然相手のことです。思ったようには絶対にいかないものを相手にして作業しているのだと心に止めています。
丁寧に土作りをし、土の中の山の芋の状態を葉や土の様子を感覚で感じ取りながら作業します。精魂込めて収穫した山の芋に「生命力」を感じます。そして買っていただいたお客様から美味しかった、また欲しいと言っていただけることは、「ものづくり」の醍醐味です。
Uターン就農者のハードル
自分の技量もおぼつかないまま、農地を引き継ぎました。放棄地にしないために、必死に耕作しました。今でも米・黒豆・山の芋などの耕作面積をどうしていくかを常に課題として考えています。
今の時代に合ったやり方をしようとする時、もっといい道具があるのはわかっていても経費の面から古くても「ある機械」でやりくりします。違う箇所が順番に壊れ何度も修理費がかかります。所有しているからこその悩みです。それに加えて、目標とする耕作面積をするために新しい機械がいる時、投資が必要です。
また、時代に合わせた新しい取り組みをする時、考えの違う家族の理解を得る苦労があります。祖父を支えきた祖母に自分の作った山の芋を自慢気に見せた折、「ようあんな傍若で豪快なやり方でできたなぁ。」と言われたことがあります。「えっ、そんなふうに見てたんや」と驚きました。ベテランの方が言うことに確かなところや参考になることが沢山あります。祖母の作業の所作、手の運びなど無駄のない動作は理想です。ベテランのやり方と新しいやり方とのバランスです。柔軟な対応と工夫が常に必要な仕事だと思います。
地域の農業を考える上で、Uターンの人間だからこそのメリットもあります。農業は地域との繋がりはとても重要ですから、そういった意味でのスムーズさは利点です。
丹波篠山に戻ってきてからの変化
同世代の農業者さんが多いので、横の繋がりがしっかりとあります。それぞれのやり方を認め合いながら相談できる仲間がいる環境は、心強いです。生活面でも当時は関りの薄かった7歳上の先輩と子育てや共通の話題ができて話ができるようになりました。中高生の頃のイメージとは違う自分を理解して接してくれ、受け入れてくれたことが嬉しかったです。
農業を始めて「天気」は特に敏感になりました。丹波篠山の強粘土質の土は、雨が降ると作業に大きく影響します。濡れた土を耕してもガラガラの土の塊の畑になってしまいますから。ずっと外で仕事をしていると、空を見上げたり、急な気温の変化など感覚で予測できるようになりました。
妻や子供との関わり方にも変化がありました。農業は定休がない反面、常に生活と仕事が重なっている状態です。農作業を手伝ってくれるので、一緒に過ごす時間が増えました。妻の「仕事への理解」も深まりました。若い頃と違い、妻や子供と住むことで、丹波篠山で生活することの良さがわかってきたように思います。
昔を知っているからこそ、これからの農業に必要なことを考える
祖父の営む、農業に勢いのあった時代を見てきた僕は、現代の「生業」としての農業の立ち位置を考えるようになりました。1次生産の重要性は理解されつつも、中小農家が利益を追い求めることが難しい時代になっています。温暖化の傾向も年々進んでいるように感じますし、離農者が増えつつある現状を考えると、今から計画して必要なことをやっていかなくてはいけないと感じています。自然環境の変化で、丹波篠山だからこその特産の栽培が難しくなるかもしれないとも思っています。農業は体力も必要ですし、これからの時代はコミュニケーション能力も備わっていないと難しいと思います。特色を持ったビジネスモデルを持ち、商業的な取引や交渉術が必要です。なにより良質な作物を提供して信用を構築していく努力が求められています。また若手の農業者が地域貢献に力を注ぎ、丹波篠山の農業の活性化につながる動きをとることも重要です。伝統野菜の山の芋を守りつつ、地域と関わりながら担い手として頑張ろうと思います。
戻ってきてよかった!
篠山の良さを伝えようと始めた農業ですが、実際に丹波篠山は農業に向いている地域だと思います。京阪神からアクセスもよく、住みやすく、空気も良いし、生活に潤いがある町です。丹波篠山産のブランド力も実感しています。景観の魅力である「田園風景」を守っていく上での農業も大切な財産の一つだと捉えています。そこに従事できるのは、誇らしいことです。「山の芋の三原さん」と言われるようになって、周りから自分の農業を認めてもらえていると感じられるようにもなってきました。何より、祖父の残してくれた種芋を引き継ぎ、良さをわかって大切に取り扱ってくださるお客様に恵まれているのは、本当にありがたいことです。こんな風に思えるのは、戻ってきたからこそです。
地元を一旦離れたからこそ生まれた「郷土愛」に満ち溢れた三原さん。丹波篠山の山の芋の認知度を上げるために様々なご努力もされています。日々、色々なことを考えながら、「農業では同じ失敗を2度と繰り返さない」を信念に取り組んでおられます。自分の主体は「生産者であることだ」ときっぱりとおっしゃったお顔が印象的でしたが、「家族サービスの時間を作ることが、今後の一番の課題になりそうだ」と優しいお父さんの一面も見せてくださいました。
(2020年2月)