王地山陶器所 陶芸家 竹内保史

・新天地で職人としての第一歩

私は、元々は大阪出身で篠山市に移住して25年になります。知人から紹介で篠山市にある王地山焼が再興して人手を探しているから興味があるなら行ってみないか、と言われたのが切っ掛けで関心を持ちました。私自身、都会の生まれですが田舎のゆったりとした空気感が好きだったので、都会の喧騒から離れ篠山市の王地山陶器所で陶芸家としての一歩を踏み出しました。

・篠山城主が愛した器の歴史

もともと王地山焼の起源は、江戸時代末期の1818年頃にさかのぼり、当時の篠山藩主・青山忠裕が王地山(篠山市河原町)の地に、京都の陶工・欽古堂亀祐を招いて始めた藩窯がその発祥といわれています。当時は煎茶趣味の背景のなかで、中国風の青磁、染付、赤絵を主とした磁器窯でした。
築窯時期から、王地山陶器所として名声を博しましたが、藩の廃止とともに明治2年に廃窯となって以来、その伝統が途絶えていました。
現在の王地山陶器所は、篠山市が昭和63年に再興したもので、今年で約30年になります。
現在は「一般社団法人ウイズささやま」により運営され、独特の緑色の青磁、染付、赤絵などの作品を当時の技法を使って製作しています。併設された展示室での展示・販売のほか、百貨店やギャラリーでの作品展も行っています。その他にも陶芸家による技術指導として、陶芸体験、絵付体験などをおこなっています。

・陶芸家という仕事

私は、高校が美術系の高校でしたから焼き物の基本な技術は、学生時代にある程度身につけていましたので、王地山陶器所に来てすぐ焼き物を作っていました。もちろん学校と現場の空気の違いに戸惑うことや王地山焼という大きな歴史と伝統をいかにして守っていくかと試行錯誤の日々の中、気がつけばあっという間に25年が経ち、多くを学ばせていただきながら現在では王地山陶器所を任されるようになりました。人やスタッフの流れも様々ありましたが現在では、私ともう一人、弟子である「児玉玲央奈」の2名で王地山製陶所の切り盛りをしています。25年の長い間続けてこられたのは、陶芸家としての仕事に魅せられた事とシンプルな篠山市での暮らしが居心地良かったのだと思います。

・王地山陶器所「王地山焼」とは

例えば篠山市にあるもう一つの産地である丹波焼と王地山焼とを比較すると陶器と磁器という違いがあります。
・陶器は「土もの」などと呼ばれ陶土と呼ばれる粘土が原材料です。
・磁器は「石もの」などと呼ばれ原材料は石英や長石などの陶石です。
と言うような特徴的な違いがあります。単純に丹波焼は彫りや細工の段階でそのものがある程度湿っていないと仕事ができません。それにくらべ磁器である王地山焼は乾燥してから取っ手を付けたり、細工ができます。また磁器土は粒子が細かいため、繊細な模様の彫刻ができます。ですがこの細かい彫刻は、大きな壺などになると彫るだけで数日掛かることもあります。その他には磁器土を850℃で焼いた土型と呼ばれるものでおこなう成形法があり、江戸時代に王地山焼を指導していた欽古堂亀祐や、柳亀堂亀七などの陶工の作品を復元した物を中心に、今の時代に合わせ形や大きさを変えた物など、合計で60〜70くらい型があり様々な模様、種類の器を生み出しています。

※王地山焼と型

・「伝統と革新」職人としての2つの顔

私が篠山に来た時点では、王地山焼は再興や伝統の継承と言う考え方が強く自身もそのあたりを考え作陶に励んできました。ですがある程度年数を重ねると、自分の焼き物を作りたいという気持ちが出てきまして、竹内という一人の作家として挑戦していきたいと考えるようになりました。そんな中13年ほど前のある日突然に「竹内保史の作品となる」ある新たな図柄を思いついたんです。もう「ストン」と頭にイメージが落ちてきました。そしたらそれを世に出したいなと思いました。ですから今では、“伝統工芸を継承させるという事“と”新たな分野へと挑戦”していくことで、陶芸家 竹内としての作品で2つの顔を持つようになりました。どちらも大切に育てていく事が今のモチベーションに繋がっています。

※「竹内保史の作品」

※王地山陶器所内に飾ってある作品の数々

・王地山焼の未来

王地山焼が再興して約30年経過していますが、まだまだ知名度が少ないのではないかと感じる時もあります。今後の目標としてはその部分を底上げしていきたいと考えています。その中で、弟子と二人で王地山焼を軸として新たなジャンルにも果敢に挑戦したり、個展などをこなしいきながら一人でも多くの方に手に取ってもらえるように技術を磨いていきたいと思います。そんな伝統と革新の生まれる場所である「王地山陶器所」にぜひ気軽に遊びにきてください。


篠山イノベーターズスクール〜2018年度生募集のお知らせ〜

地域の資源を活かした新しいしごと、農村の未来を創る「地域イノベーター」を育てるスクール「篠山イノベーターズスクール」(2016年10月開校)が、2018年5月に開講する4期生を2月から募集します。セオリー(知識)とノウハウ(技術)とネットワーク(仲間)を、地域全体の“ビジネスエコシステム”をとおして提供する1年間のプログラムです。現在55名の在籍生(修了生含む)のうち、7名が既に起業。33名が起業を目指し、地域で試行・実践中です。ともに農村イノベーションを目指す、新たな仲間を求めます。

 

・プログラムなどのご相談はもちろん、ひとりひとりのお仕事や経験状況に応じ、アドバイスします。希望者は見学もOK。まずは、お気軽にご参加ください!

 

詳細はホームページをご覧ください>>http://school.sasayamalab.jp

以下の通り、説明会を開催します。

 

2018/2/19(月)19:40~21:10

体験入学神戸大学・篠山市農村イノベーションラボ

2017年度セミナー科目『地域の成り立ちと構造~空間と歴史を学ぶ~』(全6回)の1回分を体験受講できます。(要 2,000円/回。2018年度スクールにはその残額(78,000円)を支払うことで入学できます)
第4回テーマ:「丹波・篠山の地勢と集落立地」
講師:横山宣致(公財)兵庫丹波の森協会 丹波の森研究所 専門研究員

(定員)5名
(住所)篠山市大沢165-3
(関連リンク)http://sasayamalab.jp/

 お申し込み 

2018/2/26(月)19:40~21:10

体験入学神戸大学・篠山市農村イノベーションラボ

2017年度セミナー科目『地域の成り立ちと構造~空間と歴史を学ぶ~』(全6回)の1回分を体験受講できます。(要 2,000円/回。2018年度スクールにはその残額(78,000円)を支払うことで入学できます)
第5回テーマ:「街道村と商家、城下町の空間構成」

講師:横山宣致(公財)兵庫丹波の森協会 丹波の森研究所 専門研究員

(定員)5名
(住所)篠山市大沢165-3
(関連リンク)http://sasayamalab.jp/

 お申し込み 

2018/3/2(金)19:30~20:30

説明会クリエイティブネットワークセンター大阪 メビック扇町

交流スペース2にお越しください。スクールの説明(45分)とQ&A(15分)を予定しております。説明会後,個別相談も承っております。

(定員)10名
(住所)大阪市北区扇町2-1-7 カンテレ扇町スクエア3F
(関連リンク)http://www.mebic.com/

 お申し込み 

2018/3/5(月)19:40~21:10

体験入学神戸大学・篠山市農村イノベーションラボ

2017年度セミナー科目『地域の成り立ちと構造~空間と歴史を学ぶ~』(全6回)の1回分を体験受講できます。(要 2,000円/回。2018年度スクールにはその残額(78,000円)を支払うことで入学できます)
第6回テーマ:「篠山の景観計画と土地利用基本計画」
講師:横山宣致(公財)丹波の森協会 丹波の森研究所 専門研究員

(定員)5名
(住所)篠山市大沢165-3
(関連リンク)http://sasayamalab.jp/

 お申し込み 

2018/3/10(土)11:00~12:00

宝塚商工会議所

ソリオ2は阪急宝塚駅の隣のビルになります。阪急宝塚駅の改札を出て、右手にお進みいただき、ビルの連結部で階段を数段上っていただくと、ソリオ2の2階エレベーターホールと直結しております。6階,宝塚商工会議所までお越しください。スクールの説明(45分)とQ&A(15分)を予定しております。説明会後,個別相談も承ります。

(定員)10名
(住所)宝塚市栄町2丁目1番2号ソリオ2 / 6階
(関連リンク)http://www.takarazuka-cci.or.jp/

 お申し込み 

2018/3/17(土)15:30~16:30

説明会三田市まちづくり協働センター

キッピーモールはJR三田駅直結の商業ビルです。6階,三田市まちづくり協働センターまでお越しください。スクールの説明(45分)とQ&A(15分)を予定しております。説明会後,個別相談も承ります。

(定員)10名
(住所)三田市駅前町2番1号三田駅前一番館(キッピーモール)6階
(関連リンク)http://www.skpm.jp/

 お申し込み 

2018/3/24(土)11:00~12:00

説明会宝塚商工会議所

ソリオ2は阪急宝塚駅の隣のビルになります。阪急宝塚駅の改札を出て、右手にお進みいただき、ビルの連結部で階段を数段上っていただくと、ソリオ2の2階エレベーターホールと直結しております。6階,宝塚商工会議所までお越しください。スクールの説明(45分)とQ&A(15分)を予定しております。説明会後,個別相談も承ります。

(定員)10名
(住所)宝塚市栄町2丁目1番2号ソリオ2 / 6階
(関連リンク)http://www.takarazuka-cci.or.jp/

 お申し込み 


自転車工房ハイランダー 代表 村上 大輔

・自転車競技とメカニックとしての経験を生かして起業

元々の出身は篠山で、高校生の時から自転車は趣味でやっていました。それを切っ掛けに高校卒業後は、大阪の自転車ショップでお店のスタッフ兼、ロードバイクの選手として5年くらい修行させてもい様々な事を学ばせていただきました。その後、篠山に戻ってから半年ほどは自転車とは関係のない業種で勤めていました。ですがやはり自転車が好きだったんでしょうね(笑)元々の業種である自転車整備の分野で起業しました。今から4年前の2014年で27歳の時です。

 

 

・大阪=競争「自転車好き篠山マーケティング戦略」

起業前、大阪の自転車ショップ時代に自身のやりたい事や様々な事を深く考えすぎてしまい自転車業界からも離れる事も考えていました。ですがどうせなら好きな事!やりたいことをやってからでも遅くはないのでは?と思いまして起業しました。そしてどこを拠点にしようかと考えた時、都会の方は僕がちょうどお店を辞めるころを境にロードバイクブームみたいになっていまして、ドンドンお店が新しく出来ていたので都会では競合が多いということもあり、まだまだ競争が少ない篠山市で始めようと考えました。そしてどうせ起業するなら、地元の篠山市を大好きな自転車で盛り上げたいなという想いがムクムクと湧き上がってきました。

 

小回りがきいた様々なニーズに応えられる自転車のプロフェッショナル

業務としてはメンテナンスを中心に様々なお仕事を請け負っています。一般のお客様のメンテナンスの他に、2017年のシクロクロスというジャンルの自転車競技の世界選手権で、日本ナショナルチームの自転車メンテナンスをするためにメカニックとして、2週間オランダとルクセンブルクへ行ったりもしました。メンテナンスといっても多岐にわたり最近では新しい部品の取り付けなどですね、ロードバイクは元々、輸入商品が多いので海外通販などが盛んです。通販で買った商品をうちのお店に持参され、取り付けてほしいという相談が多いですね。
例えば、自転車はイタリア製の部品でも日本製の部品でも規格が合えば取り付けることができます。ここの部品は○○のメーカーが良くて、ここの部品は○○が良いみたいに、お客様それぞれ違う注文が入ります。そのような細かいカスタマイズができるのが自転車の魅力の1つかもしれませんね、ですので国内外のメーカー問わずいただけるお仕事は丁寧にさせていただいています。

 

 

篠山=ロードの拠点としての活用

今でも大阪時代のお客様にお仕事を頂き大阪へ行くことがありますが、やはり大阪は人が多い!人の多さに疲れる時がありますね(笑)田舎の方が私の性格に合っていると思いました。家を出て5分~10分で峠がありますし、いつでもトレーニングができますから走る場所には困りませんしね。
でも、篠山は市外のサイクリストからすると通過地点みたいになっているみたいなところがあるので、もう少し篠山でゆっくりできるターミナルみたいなお店があればいいのかなと思っています。
例えば、僕の漠然とした夢でもありますが、自転車乗りの人にふらっとお越し頂いて休憩できるようなカフェがあって、その横に自転車屋さんがくっついてるようなお店を作りたいと思っています。どうしてもロードバイク専門店という店構えは初心者の方には敷居が高く、他にも大阪から自転車で走ってきた時にお店に立ち寄ってもらえる事は、故障した時以外あまりないんです。自転車屋だけだと入店しにくいイメージがあるので、もっと気軽に自転車が好きな人に遊びに来ていただけるお店に今後していきたいなと思っています。

 

自転車好きなら冷やかし大歓迎

自転車業界自体に「うちで購入した自転車じゃないと整備しません!」みたいな古い風潮がある部分が少なからずありますが、もちろん当店はそのような対応をしませんよ(笑)自転車好きの方や、こちらの記事を見てご興味を持たれた方は是非一度遊びにお越しください。是非一緒に当店自慢のコーヒーでも飲みながら自転車についてお話しましょう!


篠山市役所 秘書課 小林 七子

・地方創生「篠山市の未来」

私は、去年の4月までは篠山市役所の企画課で仕事をしていました。ちょうど国が地方創生を各自治体とおこなっていく時期で、地方の人口が減っていく中、”継続可能なまちづくり”を念頭に置いた政策や地域の魅力を伝えるための業務の担当していました。その中で篠山市は、「丹波篠山デカンショ節〜民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」で日本遺産第1号の認定をいただて、さらに魅力あるまちづくりを目指して取り組んできました。そして現在では「きっと恋する六古窯〜日本生まれ日本育ちのやきもの産地〜」として2つの日本遺産の認定を受けています。

そしてその当時に特にやりがいを感じた事は、篠山市や神戸大学の先生方や地域活動をしている方たちと連携して、篠山口駅の東口に起業をめざす人が学ぶための拠点となる「神戸大学・篠山市農村イノベーションラボラ」の創設に関わらせていただいた事です。今では、イノベーションラボが、若い人達が夢を語りそれを形にする場になり、活気にあふれていてとても嬉しく思います。

現在は、秘書課に勤務しています。主な業務は、市長と副市長のスケジュール管理、日程調整、外部からの訪問客や会議の調整などをやっております。市長、副市長とご一緒させていただく時間が増える中で、今後の篠山の未来像を一緒に考えたり意見交換させてもらうこともあります。篠山の将来を考え、こういう篠山になればいいな、というビジョンを自分も思い描いたり、思い描いている人たちと接点を持たせていただくことで、私自身もそのような篠山の未来について考えるようになり、また篠山について広い視野で俯瞰的に見えるようになってきました。

 

・キーワードは「心」

私は篠山で生まれ育って、篠山で働き初めるまで篠山の本当の良さが分かってなかった部分がありました。それは今の若い子達を見ていても分かるのですが、都会に憧れたり、そこに無いものを求めたりと自身の生まれ育った場所を客観的に見つめるような機会がなかったのかもしれません。自分も都会に住んでいて戻ってきた事でようやく「篠山の良さ」がわかるようになってきました。
市外から来られた方に篠山のどこが良かったですか?と聞くと「篠山の人が優しかった」という一言が返ってきて、それも最近では何度も聞くようになりました。
それで私は、篠山の未来を見た時に一つのキーワードなのではないかと思いました。
近年では歴史文化や、美しい街並みが注目されている篠山ですが、ではその文化や産業はどのようにして残ってきたのかと考える中で、例えば丹波焼で言えば心を込めて作られた器、農業で言えば心をこめて作ったお米、と言うように心を込めた物が古くから伝わってきて、そこに心があったからこそ、篠山の良さが伝わってきてるのかもしれないと思った時に、「心」というキーワードが全ての文化を繋いで来たと実感しました。

 

 

 ・市役所で働きたい!働くための採用資格とは

以前は職員課にも所属していまして、職員採用や、人材育成をしていたんです。少し前までは地元の子が市役所に入って来るというような傾向でしたが、私が職員課に入った時から、どんどん市外からの採用が増えました。篠山に移住者も多く入ってくるという時代の変化の中で、公務員の業務は「目的を持たずに淡々と業務をこなす」ではダメです、公務員で一番大切なのはやはり「人と人の繋がりを大切にする人材」そういった「人の心」を持つ人が、篠山の地域に根差したり、地域の人と関わったり、市民が何を求めておられるのかを考えて応えるということを、本気でできる人が今後の篠山市役所は必要だと考えています。ですが市役所で働きたいという希望者のほとんどが「安定した仕事」だからと答えます。そうではありません。公平性が求められる大変な仕事です。だからこそ「篠山の人が好きだ!このまちが好きだ!」という気持ちが仕事をする上で大切だと考えています。

市役所の職員は、一住民でもあるので地域の仕事を頼まれて行っていることもあります。ですので篠山市はそれを割り当てて、ある程度地域に入っていくようにしているんですけれども、若いうちはそれが重荷だったり、負担だったりするかもしれません。ただ、地域に入ってみると地域の方が本当に可愛がってくださるんですよね。市の職員ということで大事にしてくれて意見も聞いてくれますし、いい関係が築いていけるので若いうちからそうような経験をして地域の人と町の事を考える、それが今後の経験として必ず生きてくると思います。

 ・地域の人の想いに学ぶ

私は、大阪で四年間の大学在籍中は教員志望で中学の国語の先生か、書道の先生になりたかったんですけれども、在学中に受けた教員試験には落ちてしまい、役場の試験に受かったので、、、私も安易な考えで入ったんです(笑)そんな考えで最初は公務員という仕事を初めましたて、最初に配属されたのが公民館だったのですが、子供たちと野外活動を通じてふれあい、もう少し幅広い世代の方々に向けた生涯学習、歴史講座などの地域活動もさせていただくようになりました。

公民館のお仕事で一番記憶に残っているのが、「通学合宿」という取組です。少子化の進む時代の中で、公民館を拠点に子供たちの兄弟づくりをしようということで、小、中、高校生に公民館に寝泊まりしてもらって、ご飯は自分たちで作って平日に開催するので通常通りに学校に通学します。ただ、帰ってきて公民館にお風呂がないので「もらい風呂」といって、地域の家にお風呂を借りに行くんです。ご自宅にあがらせてもらい、こたつでくつろがしてもらい、お風呂に入る。そして帰って大広間で寝る。地域の方も協力してくださり子供達の笑顔も見え、大きな家族のようなものが出来た時に人と人とを繋げるって楽しいなと思いながら、篠山って地域のみんなが家族みたいな繋がりが強く温かいなと思いました。

私は幸い一生懸命に地域で活動されている人や、積極的に地域に出ている人たちに育ててもらったんですよね。その当時は文化協会とか、婦人会とかそういう活動を支える事務局もしたんですけど、そういう人たちは地域で核になっておられて町を活性させよう、と自分たちの持っている力を損得関係なく活かしておられ、そうした中でも「人と人との温かい繋がりを大切にする」という事を学ばせて頂きました。

 

・おいでませ!篠山市!

篠山市役所には人材育成基本方針はあります、それと合わせ、学びたい人が学べる風土や、自由な発想を活かしたり、アイデアを出し合える環境が篠山にはあります。
私が職員課にいた時に特にそのような環境を作りたいと思って仕組み作りをしたことがありました。業務改善運動を人材育成の目的としてボトムアップで意見を出し合い、“自分たちの職場なんだから、自分たちで良くしよう!”という働きかけをしました。みんなで褒め合う。褒め合って良いところを認め合うことって必要だと思いますし、それで成長できると思うんですよね。否定するより、認め合うということを職場の運動として取り上げていき今後も庁内に根付かせていきたいなと思います。

私たちの職場だけではなく、篠山の人たちは優しい温かい人が多いので、温かい人と仕事をしたいと考えている人にとって篠山はきっと素晴らしい場所だと思います。私自身も人との繋がりで生きがいをもったり、そういった仕事をもったりすることが理想だと思っています。是非、人との繋がりを大切にしたいと思っている方は篠山に、篠山市役所にお越しください。


2018年2月14日号 篠山市の求人情報のご案内

兵庫県篠山市の求人情報をご案内です.

求人一覧pdf

詳しく求人内容を知りたい方、面接希望の方は、ハローワーク篠山の窓口へお越しください。

・2月6日~2月12日までにハローワークが受理した求人情報です。
・求人内容の詳細をお知りになりたい方は、ハローワーク篠山(電話 079-552-0092)へご連絡をお願いします。また、面接にはハローワークが発行する紹介状が必要です。
・表中の「求人番号」をハローワーク係員にお伝えください。
・パートタイム求人の場合、賃金は時間給表示しております。
・情報作成後において、採用等により求人の取消しがされている場合がありますので、その際はご了承ください。
・企業名等を記載しています。

・ハローワーク篠山出張所の詳細

住所:〒669-2341 兵庫県篠山市郡家403−11
電話:079-552-0092
開館時間:
土曜日 定休日
日曜日 定休日
月曜日 8時30分~17時15分
火曜日 8時30分~17時15分
水曜日 8時30分~17時15分
木曜日 8時30分~17時15分
金曜日 8時30分~17時15分

茶遊菓楽 諏訪園 代表 酒井 一行

・三代続く丹波篠山茶の老舗「諏訪園」

私どもの会社は「諏訪園」という名前が示す通り、もともと篠山市味間で茶園を持ち、茶葉の栽培、卸業をしていました。現在も約3ヘクタールくらいの茶畑で栽培して製造しています。お茶の葉の製造と卸業をメインに初代がずっとやっていたのですが、二代目の父の代からなかなか卸売業だけでは利益がでないということで、小売業として展開をすることを決めまして、昭和60年に篠山市味間に本店を構えました。そして、茶葉を売るお店としての第一号店の営業を開始して、生産から販売までの今でいう「六次化」の形態を形成していき、お客様の顔の見える形で「作って売る」というところまでになりました。
その後、平成4年に篠山市の城下町に第二号店を建てました。そして篠山城下町店のオープンをきっかけに、お茶のある生活をより豊かにしたいと考え、お茶とは切っても切れない和菓子作りが本格的に始まりまして、お茶もお菓子も丁寧に一から製造するという2つの分野で事業を拡大していきました。そして、お菓子の方も順調に伸びてきましたので、本店にあった工場が老朽化もあり狭く、新しい機械が入らなかったので、平成15年に篠山インター店を建て、今の形に落ち着きました。その後、親子3代で想いを繋ぎ少しづつ販路を拡大していきました。

・歴史あるお茶の産地である篠山と今後のビジョン

私どもの地域で栽培しています丹波茶は、あまりメジャーではありません。ですが、全国的に見てもその歴史は古く、約800年前に栄西が植えたとされる文献も残るくらい非常に歴史のある茶どころなんですね。それはお茶の栽培に適した場所ということです。篠山といえば黒豆や栗が有名ですが、篠山の寒暖の差が激しい高地での栽培というのは、特産物が多い篠山を見ても恵まれた土地にあるからです。その中で、お茶をこれからどこまで販売していけるのかな、というところが一つの課題にはなっているんですけれども、以前から「お茶を通じて交流の場を広げたい」という想いがありまして、それにお菓子が欠かせないという考えがあり、特産物が多い篠山で、お客様に納得していただける新たな特産品をしっかりと作り、販売するお店でありたいし、また、あり続けたいと考えています。

・老舗の柔軟な発想と新たな挑戦

昨年、平成28年から洋菓子の製造販売もスタートしました。その理由は2つあります。その理由の1つ目は洋でも和でもなく、一つのお菓子として私は考えているからです。2つ目は、新たな職場環境の構築です。今までだと、やはり洋菓子を目指す人材は洋菓子店、和菓子を目指す人材は和菓子店に行くのでどちらか片方しか学ぶことができませんが、その垣根を取り払おうと考えております。それは、和菓子の中にも洋菓子のエッセンスを取り入れたり、洋菓子の中に和菓子の要素を入れることにより、両方の仕事を経験できる、新たな表現の感覚を学んだりできる環境があればリクルートの幅も広がりますし、今後育っていくスタッフが多能工として自立していけるようにと考えています。スタッフの成長があり、ここで学んだ経験を活かし、新しい分野にチャレンジしていってもらいたいと思います。

・当たり前を学ぶ!地方企業を支える人材育成の考え方

美味しいものを作るだけでは商売はできません。販売というひとつのシュチュエーションも私は重視していますし、その中で特に接客の部分を大切にしています。いかに美味しいものを作ろうとも、お客様への対応が疎かだと台無しになりますからね。篠山は田舎ですけれども、都会のレベルに合わせた接客技術を身につけてもらうため、都市部から講師を招聘し研修を行ったり、スタッフの評価をしていくということは常々やっております。もちろん社内での研修もですが、日ごろから挨拶、感謝、人に対する配慮など当たり前の事ですが、きっちり教えています。私のお店には10代のアルバイトスタッフから40代の従業員までの幅広い人材がいまして、若い子にしっかり教えていく流れを作っていきたいという想いもあります。ですが、このような発想にすぐにたどり着いた訳ではありません。
今まではそこまで人材育成に力を入れていませんでしたが、スタッフの入れ替わりが多く、このままではいけないと思い、身内・友人・社会に向け堂々と胸を張って「会社に行ってくる」と言えるものでないといけないと思うようになりました。簡単にいうと「お店にお手伝いに行ってきます。」ではなく、従業員皆には「会社に出社してきます。」ときちん言ってもらいたい。そこには福利厚生があって、社会的にも認められるような会社にしたいのです。現在は従業員が26人いるのですが、その中で14人は社員ですが、行く末は全従業員を社員にするという気持ちでおりますし「会社の運営は全員、全力で出来る会社を目指そう」という考えです。今ではそれが会社として一番強いという考えに至りました。

 

・9割の従業員が女性!?女性活躍企業の構築

私と工場長と20歳の男の子で男性は3人です。店長、マネージャー、工場主任も全員女性です。女性が多い職場で気を使う事こともありますが、毎日挨拶、労いの言葉を掛け合うこと、その2つを大切にしています。些細なことですけれども、それだけで会社の雰囲気が変わってきますね。それだけで社内のコミュニケーションが上手く取れてきたように思います。いい人材に恵まれた部分もあるんですけれどもね(笑)ですが、ここまでの会社の状態になるのに15年ほどかかりましたよ。今の会社の考え方に賛同し、共に考えて来てくれた人材だけが残ってくれている感じがします。そんな会社のシンプルな考え方としては「商品を作るだけでは物は売れない、何で自分たちが作っているのか。売ってくれる人がいて、買ってくれる人がいて作れるのだから。」という製造側の考えがあって、販売する側には「売ることしか出来ないけれども、作ってくれているから売れるんだ。」という感謝の気持ち。作る側に対する思いを持って売るという姿勢をつくることが大事かなと思っています。そういうバランスを非常に大切にしています。だから接客に命がけになる人も欲しいですし、製造の作ることが大好きでなかなか表舞台には立てないけれども、裏方ではしっかりと支えることが出来る人材に来ていただいたら一緒に成長していけると思います。


キクヤ株式会社 代表取締役 遠山雅治

・設立45年 地域に感動を還元する企業「キクヤ株式会社

今年で45周年を迎えます。昭和49年に創業、父が23歳の時に脱サラし、最初は「タイガースポーツ店」という、ゴルフショップを始めました。ゴルフショップといっても、店舗は持たずにゴルフクラブや手袋などのゴルフ用品を仕入れ、車で売り歩く行商からスタートしました。ですが、思っていたようには業績が伸びずにいました。利益率が悪く、集金に回らなければならない。うまく集金出来ない事も多い、忙しく時間を浪費する薄利な商売でした。このままではダメだと思っていた時に、お客様から「ゴルフコンペの景品ないの?」との声が非常に多くありまして、そういった商品を用意出来れば、商売としてより良くなるのでは?ということで、昭和54年にギフトや卸の仕事をやり始めました。その時に初めて、ギフトというマーケットがあることに気付き、2年も経たないうちにゴルフショップはやめたと聞いております。そこから「キクヤ」という名前に変え、ギフト中心で事業を展開しました。事業をはじめた最初の頃は本当に苦労したと聞いています。現在、ギフト事業では丹南店・氷上店と2店舗展開しており、葬儀事業では篠山・丹波にネムールの森という葬儀会館が2箇所ございます。

※インタビュー者:代表取締役 遠山雅治さん

・仕事に「やりがい」をつくるための仕組みづくりとは

私の中でキクヤの魅力は?と聞かれれば、それは「一人一人が挑戦・やりたい事ができる企業」だと思っています。只今、社員は50人以上いますが、各部門ごとに分かれていまして、部門長の決済は入りますが、社長との距離が近いので提案、要望が通りやすい会社ではないかと自負しております。

ただ、企業理念として“お客様に感動していただくことに喜びを感じましょう”あと、冠婚葬祭業がベースにあるので、“冠婚葬祭業を通じてお客様、地域に還元する”というのが理念ですのでそれに沿った魅力的な提案なら喜んで取り入れます。ただ物を買うだけならネットでいい。なぜお店に足を運んでいただくのかというと、説明をして理解していただく事により冠婚葬祭の知識が身につきますよね。それによって、この地域の冠婚葬祭の知識レベルが上がる。冠婚葬祭は主に「ありがとう」の想いを伝えるわけですから、心も豊かになのではないかと思います。地域の皆さんと一緒に、心も豊かになっていただけるような会社でありたいと思います。

また、管理職の皆さんには社内の中で権限を持っていただき、自身の判断で責任を持ってスタッフと仕事を円滑にしてもらえればと考えています。

・人生の大きなターニングポイントでもある出来事。単身で中国へ

実は昔、大学受験に失敗し、進路が絶たれた時、今の会社に就職しようとした時がありました。その時父に、「会社を継ぐために入社するのであれば中国に行かないと継がせない。」と言われました。もちろん言葉は話せない、現金30万円持たされて、いってらっしゃいと(笑)

そして中国に渡り大学に入学。そのお金で学費と寮費を払って、勉強し、働いて帰ってきました。全て一人で言葉を覚えて、仕事を見つけて、人脈を作って、いう中国での生活でしたが、当時すごくポジティブだったので、1万人くらいいる大学で「全員、僕のことを知っていると言われるようにしよう」と決めて友達に言い続けていました。野球部で友人ができ、その子の授業にも出て、自己紹介させてもらうことでまた友達の輪が広がる。カラオケ大会があれば、出場して賞金もらって賞金で飲みに行ったりと毎日が楽しかったです。調子に乗っていましたね(笑)

でも大学卒業後、働き始めてコテンパンにやられました(笑)仕事スキルが全くない事に気が付きました。エクセルの使い方、社会人としてのメールの打ち方、マナーなど、なっていなくて、毎日ジトッとした嫌な汗を会社のPCの前でかいていました。上司からもすごく叱られました。分からないことは聞こうと決めて、叱られながらも上司や同僚に聞いてなんとかものに出来たという感じでした。中国の会社でしたので、メールにしても、中国語、日本語、英語とありました。フィリピン人とのやりとりは英語。見よう見まねでやっていました。中国語は書くこともできましたので苦労しませんでした。現地採用で、22歳の時に中国人の方を管理していました。普通の会社でしたら、22歳で新卒ですが、入って即、30代がやっているような管理職をやっていました。社会人スキルはかなり怒られましたが、普通の社会人が1、2年かかって覚えることを数カ月で身につけました。4カ月ごろから価格交渉の権限もいただいていていましたね。大変でしたが中国での経験は面白かったです。

・二代目の継承 目指す未来を皆で考え、皆で進む。

日本では家が厳しく、自由がないと感じていましたが、中国での経験は、本来人間があるべき姿なんだなと思えました。叱られない代わりに、全て自分の責任だということを学びました。その後、4カ月ニューヨークで暮らしました。中国での生活で、中国での価値観が染みついていて、ギラギラしすぎていて、このまま日本に帰ると値段交渉などやりすぎてしまうだろうと感じたため、200万円貯金があったので、もう一度揉まれてから帰ろうと思ったのがきっかけです。中和されていると思って帰国しましたが、中国の価値観が全然抜けていませんでしたね(笑)中国の感覚で仕事をすると、日本ではギラギラしすぎていて通用しませんでした。調子に乗っていたのが出ていたんだと思います。帰国後に、ある経験から本当の意味で、周りの人達、お客様、従業員の皆さんへの心からの感謝と配慮が大切だと感じました。

そんな中、どうすれば従業員のみんなが幸せになってもらえるのだろうと考えていた時に、2017年秋からチームコーチングを取り入れ、管理職が集まり、チームで事業目的や、チームアイデンティティー、チームバリュー、そもそも何の為に働くのか?目指すものは何なのか?と皆で考え、共有しました。そこで出てきた社長としてやるべき課題を僕は今ひとつずつ改善させようとしています。管理職の皆さんにリーダーシップをとってもらい、社長任せにならない組織。自分の部署だけのことをやっていても全体が伸びるわけがないので、自分の部署プラス他の部署のこともやったりとかね。全員リーダーシップを発揮しないと新幹線経営ができません。現在二代目を継承し、様々な意見を取り入れることにより、会社をより良くしたいと考え今動き出したところです。チームコーチング、ライングループを組み、情報共有をしています。

・社員に「幸せ」を還元する経営とは

私は、年収が何万欲しいとか、そういう欲求はありません。しかし、会社の中期経営計画、売上目標はしっかりとあり、欲求も高いです。ではこの目標達成できれば従業員のみんなが幸せかと言えば答えは「NO」です。弊社が多店舗展開し、もしですよ、大阪や東京に会社を作っても今いる社員に体感として変化がなければむしろ仕事量が増える、休みが減るという感情が出てきてしまいます。

だって、篠山の人はここで仕事して、ここで生活しているから。自分には何も幸せとして返ってこないですよね。でも、年商が増えて売上が増えるとなると一人当たりの生産性が高まったり、人が増えることにより、年間休日が少しずつ増えていったりね。会社が潤うことにより、給料ベースが上がったり、会社が綺麗になったり、体感があれば頑張れるし、従業員のみんなの幸せに繋がると考えています。

しかし、この「幸せ」の定義は人それぞれです。先ほど申し上げたのはハードであって、ソフト(心)も満たされる組織運営も心がけています。私の考える幸せとは

 

・人に愛されること

・人に褒められること

・人の役に立つこと

・人から頼られること

 

が極論ではないかと考えております。これは人さまざまですがこれは私の座右の銘の一つです。ソフトもハードも合わせてやっぱり「キクヤで働きたい」と言ってもらえるような会社運営をしていきたいと思います。

 


神戸大学・篠山市農村イノベーションラボ ポン真鍋

・時代の変化と世の中の流れを見据え、体現する決意 

生まれ育ったのは香川県高松市で19歳まで過ごしました。大学進学にあたり東京へ行き、東京大学大学院を卒業後就職しました。26歳くらいの時ですね。32歳、2011年まで東京にいました。東京での仕事で大きな不満があったのではなく、世の中的に閉塞感を感じ、このまま日本が上手くいくのかな?という疑問があって。これからどんな時代になるのかを考えた時に、これまでは中央集権、男性社会で上手くいっていたけれど、日本が国自体、年老いてきている、年老いたら人間と一緒で物差しも多角化するだろう思いました。

中央集権や、男性が中心という考えが続くと上手くいかないのでは?と思い、上手くいくにはその逆の地方分権や女性では?とリーマンショク前の2006とか2007年くらいから考えていました。でも、東京の金融機関で普通に働いていて。自分の身にリーマンショックや、東日本大震災が降りかかってくる中で、時代も変わっていかなくてはいけないし、自分は地方の時代と思い始めていて。それは地方創生といわれるはるか前で、あれ?結構先読みできてる?と思っていました。

2011年の11月に、大阪でダブル選挙があって大阪維新の会が圧勝しました。そこで、若い人だけではなく、シニアの人も変革というのを望んでいるんだなと感じました。先読みしていると思っていたけど、世の中の流れってもっと早いんじゃないかと感じましたね。俺なんか遅いなーと思って。地方の時代だと思っているのであれば、自分が地元に戻るなり、地方に行って新しいライフスタイルなり、ビジネスモデルを体現させないといけないなと思って。あの結果見て辞める決断して、翌年の1月末に会社を辞めて四国に戻りました。

 

 

 

・東大卒エリートサラリーマン些細なきっかけからポン菓子職人へ

その時に会社を立ち上げることと,地域活性に携わることをするという2つは決めていたんですけど、それ以外のことは何も決めていませんでした。これまで小豆島にご縁はなかったんですが、小豆島がおもしろい!と自分で思ったので移住しました。ポン菓子は本格的にやった最初の事業なんですけれども、ポン菓子は飲み会の悪ノリで。東大リーマン卒の変な奴が地元に戻って来たと。おもしろそうだから呼ぼう、ということで、地元のNPO総会の打ち上げに呼んでもらったんです。おつまみにポン菓子が出てきて食べてたんですね。

「ポン菓子って最近見なくなったよね。」

「うまいのになんで売れないんだ?」

「ダサいからじゃないですか?」みたいなことをいっていて。

「ポン菓子ってお米だけと思ってるかも知れないですけど、マカロニとかでも出来るらしいですよ。だったら、そうめんとか、落花生とか、島のものをポン菓子にしたらウケるんじゃないか。」と話をしていたら、若手経営者がスマホで、「ポン菓子の値段25万円。」って調べてくれて。意外と安いな!って思ったんです。

「よし、わかった。じゃあ10万円出資する。」隣にいた人も「よし。のった!俺も10万。」って。「お前暇だろ?暇だからポン菓子やれよ。」って言われて。「うーん・・・やります!」って言っちゃったんです(笑)それがきっかけですね。

 

 

・”ポン真鍋”で全国的ヒット 地域興し・地域貢献

飲み会での話だし。と思いながら家に帰ってから色々調べたり、何となく原価計算してみたら「やれるのではないか。」と思い、翌日、愛媛県にポン菓子屋さんやっている若い男性に聞いたら、”おにぎり屋よりは儲かりますよ”ということだったので、その勢いで東京に行って必要なものを買って、ポン菓子屋やったら・・・結構ウケたんです!

“おしゃれに売る”というのは決めていました。スターバックスの店員さんみたいな感じです。白のワイシャツに黒のストールをして黒のエプロンして。ポン菓子機が意外とかっこよくて。豆を挽くミルみたいな感じで。当時“ポンバリスタ”って言っていました(笑)テキ屋のおっちゃんや、スーパーの移動販売みたいなイメージで、なかなか子供は買いによらないのですが、僕は一応綺麗な格好で、できたポン菓子をワインの木箱に入れて、紙のクラフトコップに入れて売ったら面白そうだと興味持ってくれたり。ポン菓子って面白くて、5分~10分あれば大きな音が鳴って、その周りがいい匂いになって。子供はめずらしくて寄ってくるし、お年寄りは古き良き時代を懐かしく思ってくれて結構売れて。高松で売り出した時はスマッシュヒットしました(笑)

“これまでは金融機関で150億円のビジネスしてた奴が150円のポン菓子を売り出した”という点でもウケて。香川では「真鍋」ってすごく多い名前なんです。ある人が、真鍋はややこしいから「ポン真鍋!」って言いだして。それいいなって思ったんです。子供も覚えられるし。名刺も、ポン真鍋にしたら広がってテレビでも紹介されました。NHKやぐるナイ。そこから物販をしていましたが、綺麗な格好でやっていたので色々な所から声が掛かり、図書館の記念式典とか、棚田の田植え式とか、出張で会社でやってほしいとか、駅、港、色んな所でやりました。挙句の果てには、結婚式で“ウエディングポン”(笑)ケーキ入刃ならぬ“新郎新婦、ポン機入ポン”とか(笑)それがまたウケて神戸、大阪でもやるようになって。

ポン菓子は、すぐに食べれるから食育の授業で使えるということで、学校に呼ばれるようにもなりました。授業でお米を炊いて食べようと思ったら、45分の時間がかかってしまう。ポン菓子は10分でできますから。それに、米や野菜の話もしてくれるからということでした。その辺は予想していなかったですね。

今はポン菓子屋さんはやっていません。もともと、ずっとポン菓子屋をやる気はなかったので。当時はポン菓子に反応する人がいて、高知や愛媛に同年代のポン菓子屋ができたし、テレビにも出たので県外からも問い合わせが来て、長野県、長崎県にも同じようなポン菓子屋ができました。広まっていけばいいなと思っていたのが広まって。フェードアウトしました。

 

・ポン菓子職人から新たな試み 食がテーマの情報誌

もともと地元の地域資源をいかに活用するかというところから始まって、ポン菓子をやりながら地元のギフトを作ったりとか、ティーチングツアーで都会の学生を小豆島に呼んで、地元の人と交流しながら中学生に勉強を教えてもらうというのを3年くらいやっていました。

色々やりましたが、自分の中で食がテーマだなと思って、2014年に“四国食べる通信”というのを始めたんですよね。四国食べる通信というのは、四国中の農家さん、漁師さん、畜産農家さんを取材して、きちんとデザインされた冊子をつくり、その人達が作った食材が付録で届くという「食べる情報誌」です。2014年から始めて、それが四国中に取材に行くことになるので、小豆島よりは、自分が生まれ育った高松の方が都合が良いと考え、高松に拠点を移しました。

それから基本的には”食べる通信のポン真鍋”でということでその事業中心に、新しい会社を立ち上げて2014年、2015、2016年とやり、その途中でこの篠山の施設の前身となった”フィールドステーション”という篠山市と神戸大学が連携してつくった施設なんですが、この事業に携わり始めたんですよね。

当時、週に1回香川から篠山まで往復7時間かけて車で通っていて。そういったことをしているうちに、結婚して子供ができて。毎週往復7時間かかるのはさすがに辛いなと思いました。特に、子供が小さいうちは家族の時間を大切にしたいなと思いました。四国に残るか、篠山か、神戸かと考えて、食べる通信は自分で始めた仕事なので自分のタイミングで辞めれるけれど、施設の事業の仕事は、いただいた仕事でやり始めたことですし。それに、博士課程で学生として神戸大学に通い始めていたので、こっちに来た方がいいと思い、家族と相談しました。嫁は三田市の生まれで、おじいちゃん、おばあちゃんは篠山にいるんですよ。お父さん、お母さんも篠山にいて、子供が小さいうちは母親の近くの方がいいだろうなと思ってこの4月から引っ越してきました。週に2日は篠山に、週に2日は神戸大学で自分の研究をして、残りは個人事業主のようなかたちでファシリテーターや、プロジェクトに携わったり、別の大学の非常勤講師を受けながら家族を養っています。

 

 

 

・変化し続けた今 これからの展望

困ったことに先の事は何も決まってなくて。僕は長いゴールを見据えて着実に上っていくのが下手くそなタイプなんです。そういうことが出来る人たちは尊敬しますが、僕は出来ないなと思っていて、今僕が置かれている立ち位置で求めてくれる人もいるし、自分が興味のあることもありますし、ご縁もあるので、大切なことはそういった目の前の事に対して全力を出すことなのかなと思います。

僕は昔は高松市長になると思っていたんです。でも今はそれを昔ほど強く思っていなくて。それは子供が出来たり、家族が増えたということが大きくて、まずは自分のなるべく近い存在を幸せにするということの方が大切だと思うようになりました。でもそれは自分の家族だけじゃない、集落もそう、町もそう。そこから何か出来ることがあるんじゃないかなという想いもある。昔は市のグランドビジョンを立てるのは市長だし、首長にならないといけないと思っていました。でも、そうじゃないやり方もあるんじゃないかなと。まだパブリックなセクターで働くことを放棄したわけではないですが今は身近な所に興味がありますね。

 

 

 

・これからの時代を分析。○○屋と呼ばれない新しい働き方

これから働き方が劇的に変わっていくと思います。フリーランスという言葉自体もなくなっていくかもしれなくて、みんなフリーになるんじゃないかなと。ある会社に所属するということがメインとなる仕事もあるかもしれないんですけれども、劇的に少なくなると思います。僕はもともと金融機関にいたのでその辺の情報に目がいきますが、もう大手のメガバンクが、どこも数千人規模で、2020年までに人員削減しますという話をしていて、AI一台入れるだけで保険会社の仕事50人分の人件費、人材がいらなくなるとか。急激に、ある一つの会社に所属するというのはなくなるのではと考えています。それ以外の会社でも働くことになるのではないでしょうか。自分が小豆島にいる時に、”○○屋”と言われなくなろうと思っていたんですね。それは、“新しいビジネススタイル、ライフスタイルを体現していかなくてはいけない”と思っていたので。金融マンですね、不動産屋ですね。って言われちゃうとその時点で過去の概念だから、“何しているかわからないけど何とか生きている”でいいんじゃないかなと思ってます。
これからの稼ぎ方が、ある会社に入ってサラリーマンというだけではなくて、スポットでいただくこともあり、プロジェクト単位でいただくこともあり、ということもある。というかたちで稼ぎ方が変わっていくんじゃないかと思いますね。


フタバカフェ オーナー 西田 博一

・篠山市でUターン起業のヒント!

以前、私は関東でIT関連企業で事務や管理、代理店用のヘルプデスクの運用の仕事をしていました。会社自体に全く不満はありませんでしたが私は長男で、子供の時から「長男は家を継ぐものだ」という風潮がありましたが、当時はあまり深く考えていませんでした。しかし、祖父が亡くなった事がきっかけで、このまま定年まで働いてから地元に戻るのかということを考えるようになり、家族が守ってきた農地が心配だったので、出来るだけ体力のある若いうちに篠山に戻り、やりたい仕事をしながら家業を守りたい、など出身地の事をじっくり考えるようになり、約15年前、地元である篠山市に関東からUターンで帰ってきました。

・ フタバ型農業のスタート

地元を意識した最初の段階では、篠山に帰って何か仕事を探して兼業農家として生活していくというイメージを持っていました。ですが、今までサラリーマンで培ってきたノウハウやスキルを活かし、地元だからこそできる面白いことをやってみたいと思っていました。それを東京にいる時から早い段階で計画していて、篠山市に戻ってから約1年ほどで「フタバカフェ」を開業しました。サラリーマンと農業で兼業するのか?もしくは農業一本で何かできないのか?と色々考えたのですが、農業一本では実家の土地の面積などの部分で生計を立てるのは難しいと判断しました。大きな施設や設備にもコストがかかってしまいますので。ですから、農業+カフェの2つを事業の軸とする事で、自分たちで作ったお米や野菜、ブルーベリーなどをカフェで提供しながら、店をアンテナショップであり、野菜の直売所にするという形にしようと考えました。自分の周りですべて完結できるようにし、地方で自分の満足のいく新しい働き方を起業という形で見つける事ができました。

 ・カフェ・農業以外にも猟師として活動をスタートするマルチな経営者

篠山市は冬期の農業の仕事があまり多くありません。篠山市は冬の寒さが厳しく、路地栽培では限られた作物しか育たないためです。篠山の農業は、昔から特産物の丹波黒豆とお米を軸にしていますので、冬に作物を栽培するということがあまりありません。冬場の空いた時間に、ブルーベリーの剪定や、細かな農作業するのですがそれ以外にも時間がありました。そこで、何か時間を有効に使う事ができないか?と考え、目に入ったのが地域の課題でもある、鹿・猪などの獣害問題でした。獣害を減らそうという考えから猟師を始めて、自身で食す事があり、その美味しさに気づき、新鮮な状態で皆さんに提供するにはどうすればよいか?お店で販売できないか?というところから食肉処理と解体の勉強をし、必要な資格を取り、食肉として販売出来る状態にしました。現在では、個人のお客様でジビエに興味のある方に個々に販売したり、都市部の飲食店などに卸しています。

・ 都会でのキャリアを田舎で活かす

サラリーマン経験をさせてもらった事はすごく大きな財産になっています。コストを意識しながら仕事をしたりと経営の基礎を学びました。現在多くの企業がそうだと思いますが、資金を潤沢に持っているわけではなく、出来るだけ節約しながら知恵や経験でカバーし、様々な方法で運営されていると思うので、その部分は地方で別の業種の仕事に就いたり、起業したとしても経験が活かせる部分は多いと思いますね。私の場合は起業したわけですが、安定した会社に勤めながら、今後やりたいことを計画し、資金を貯められるという期間があるのはすごく良いことだと思いますし、経験を活かして力試しができるという利点もあります。今では都会に一度出て良かったと本当に思っています。

・地方で起業という考え方

なかなか一言で「篠山はすごいいいよ!おいでよ!」とは言い切れない部分はあります(笑)都会に比べてお客様の数、総人口の違いはありますので、田舎で事業をするのは大変だなと思うこともありました。なので「すごいいいよ!おいでよ!」と勧めるわけではないんですけど・・・。私自身はUターンで地元に元々基盤がありましたので、開業するにあたり良かった点がありました。仮に僕がIターンで基盤が無ければ今の事業は上手くいかなかっただろうなと思います。いきなり飛び込むよりは、「ある程度基盤がある」とか、「友人がいる」とか、自身が向かう地方がどんな地域なのか深く知ることが大切だと思いますね。篠山市は都市部とも近く、祭りやイベントが多く集客力があります。観光地としても有名で、田舎としてはかなり恵まれていると思います。前職では転勤が多かったので様々な土地へ行きましたが、そのなかでも篠山は地方の良さを感じる魅力的な土地だと思います。

 

・地方にある可能性と資源 フタバ型農業の見据える未来

今後も農業を軸に生涯やっていきたいと思っていて、それは変わらないと思います。飲食業の分野に関しては、将来的に今の人的資源を活用して、高齢化が進む中、自身で買い物に行くのが困難な高齢者の方へお弁当を配達し、生活を支えていけるような仕組み作りを考えています。その時代に応じてやり方が変化していく中で、いつまでも飲食店と農業の二本立てではなく、農業を軸にして、多角的に時代に合った事業を柔軟にしていきたいと思っています。
今ちょうど興味のある分野は「里山資源」ですね、山里にはすごく魅力的な資源があるのにも関わらず、誰も見向きもしないというか・・・。それってすごくもったいないと思っています。例えば柿一つにしても昔から代々育てられてきましたが、今では猿が柿を取り害になるから切り倒したり、過去にどんどん植林されて間伐ができないから地盤が緩んだり道がふさがれたり大変な面があります。
例えばそれを間伐して、薪にして都会で薪ストーブを使っているような方に販売したり。柿にしても乾燥させ、ドライフルーツやドッグフードなどにしたりと活用を考えればきりがありません。そんな中で柔軟に視野を広げそのような様々な資源を掘り起こして活用して、必要としている方に提供できるような仕事を展開していきたいと考えています。
都会には自由に使える場所や資源が少ない様に感じます。田舎には森林など資源が数多くあり、不必要と感じる資源を有効的に活用する事で自身の活動スタイルを明確にしておけば様々な可能性を秘めていると思います。これからの時代は地方での起業が面白いものになっていくのではないかと思います。


「丹波焼」丹文窯 4代目 大西 雅文

・仕事を継ぐ意識から「陶芸を楽しむ」スタイル

私は丹文窯の4代目になります。子供の頃から陶芸家というより、仕事として家業として、事業を継ぐという意識がありました。高校を卒業後、芸短大の陶芸コースに通いました。大学では、陶芸についての職業訓練をする事が中心ではなく、基礎知識を学ぶ事が中心で、技術を学ぶには時間が足りませんでした。卒業後、技術を学ぶには、陶芸家の先生の下で修行をするのが一番だと思い、愛知県瀬戸市の先生の下で4年間修行しました。今思えば、陶芸家というより家業という意識が変わり「陶芸の楽しさを学んだ」のは愛知県瀬戸の修行時代でした。修行に出ていなければ、ここまで陶芸を好きにはなっていないでしょうし、今のような作品は作れていませんでしょうね。本当に修行に出て良かったと今では感じています。愛知県の瀬戸市というのは修行に訪れる人が多い地域で、僕の修行時代は、とにかく早く作れ!早く!という量産体制の時代だったので、僕自身、技術面・精神面でも成長し、自信が持てるようになりましたね。

丹波焼の特長としては、まず地場の土を厳選して選びます。土作り、造形、色付け、焼成と進み作品を生み出します。その他には轆轤(ロクロ)が左回転で形成する事や、
製造・営業・販売まで一貫して窯元で全て行いますので、中間業者(問屋)がないんですよ。特に丹波焼は、作ったら自分で売らないといけないのです。丹波地域は他地域からのアクセスが良いのでお客さんが来やすいし、窯元たちも売りに行きやすい部分も影響しているのかもしれませんね。昔、他の産地は一般客が買いに行けないような奥地であったため中間業者が発展したのかもしれませんね、現在では整備されて、どの産地もアクセスし易いと思いますけど、その名残で他の産地には中間業者があって、丹波には無いのかもしれませんね。

・窯元の古き伝統を「守り」新しい「挑戦」に取り組む

Tamba Styleという、新しい取り組みをしています。丹波焼は元々、日本六古窯のひとつであり、食器や花器といった日常使いの民芸品として歴史を重ねてきた一方、昨今のライフスタイルからは少し離れつつあったことも事実でした。伝統的民芸品というと消費者からは少し高級なイメージがあったり、とっつきにくさを感じられることもありましたし。そんな丹波焼の現状を打破するために、窯元有志8人で一念発起しました。現代のライフスタイルに合わせた新たな丹波焼の可能性を探る活動。それが Tamba Style です。

Tamba Styleの具体的な活動として、洋食の器への取り組みというものがあります。もちろん、今までの丹波焼の器でも洋食の器として使えるものは多数ありますし、イタリアンと和食器のコラボなどは最近では珍しくなくなりました。しかし、やはり一般的には和食器としてのイメージが強く、あえて丹波焼を洋食の器として使うというのは、なかなかイメージしづらい現状がありますから。そこで、新たな丹波焼の可能性を探るべく、単に洋食器の模倣とならないよう「洋」の中にも「丹波焼らしさ」を追求しながら、重厚な丹波焼きとは別に「軽くて使いやすい」現代のライフスタイルにあった使いやすい器作りに挑戦しています。最近は、イタリアンや居酒屋さんなどに利用していただいてます。篠山や市外にもお客様が増えていますね。

・篠山から全国に「丹波焼き」の伝統を伝道

丹文窯の家業以外で、個人で主に関西・東京・九州の都市部を中心に「-丹波焼 -大西雅文 展」をデパートやギャラリーで個展や展覧会をしています。伝統的な登り窯で焼いた作品を中心に出品しています。お仕事を頂けるのは非常にありがたいですが、プレッシャーもすごいですが様々な土地に行く事で視野が広がりました。そんな中、全国に出ることで丹波焼というブランドの認知まだまだ進んでいない部分もあると気付き今後は広報活動も精力的にこなしていきたいと思います。

・若手の育成・独立準備をサポート「丹波焼」の未来

現在は親父、母親、僕、スタッフ2人、計5人で仕事しています。僕は、展覧会や個展を中心に外に間口を広げ、販路を拡大していきたいと思ってますので今後は、丹文窯を任せられる職人やスタッフを育成して、お店を管理してもらえたらと考えています。僕はスタッフと呼んでますが、本来ならスタッフというのは昔でいうところのお弟子さんになります。そんなスタッフの独立にも尽力していきたいと思います。
昔は、土を触って器を作ろうとすると、何年も修行を重ねなければならないのが主流でした。現在では、京都府などにある焼き物の職業訓練所がありまして、1年間しっかり勉強して卒業後、各地に修行に出て行きます。そんな方々も丹文窯では受け入れていて、実際に独立したスタッフも何名かいます。土作り、陶器の製造、販路の開拓まですべて1から身に付けてもらい、なるべく早い段階で独立起業できるようにサポートできるようにしています。ですのでとにかく篠山が好きだ!とか、焼き物に興味がある方、自分で何かをしたいという独立心がある方はいつでもご協力しますよ。


篠山城大書院「ウイズささやま」廣岡 和哉

・「家族のために決断」キャリアをゼロに移住

私の出身は福島県になります。福島市でライフライン関係の仕事に携わっておりました。下水処理場、浄水場、ゴミ処理場などの維持管理、設備の工事をする会社の営業をやっていたんです。契約を取ってきて仕事を割り振りしたり、営業業務と現場監督をしたりしていました。そんな時に東日本大震災が起こりました。私たちの住んでいたところは、地震の影響も津波の影響もほぼなかったんですけれども、福島第一原発事故が起こり、子供もまだ小さかったので家族の事を大切にするため移住を考えるようになりました。情報を探している時にたまたまご相談した人が、篠山の方とお知り合いでして、その方から「一回篠山を見てみないか?」という風にお声をかけていただきました。その時点では、住まいも働き口も全然決まってなかったんですけれども、家族で過ごすためには「仕事は選ばずになんでもするぞ!」と覚悟していました。おかげさまで2012年の4月に家族3人で篠山市に移住しました。現在は篠山城 大書院で施設管理・施設案内・イベント企画と移住定住の窓口などで仕事をさせていただいています。

・東北、関西の文化の違い

もちろん篠山市には知り合いもいなければ、同級生、友達もいないし、何も知らない状況でしたので移住する前は不安ばかりでしたね。まず言葉は違うし、おそらく様々な考え方も違うのではないかとか、それに僕の関西の勝手なイメージですけど、面白い話をしないといけないのかな?話にいちいちオチを求められるみたいな(笑)そういうのも頭の片隅にありながらでしたが家族の事を考えエイッ!と飛び込んだら篠山の皆様はすごく温かい方ばかりでした。福島から移住して篠山に5年もいれたのは篠山の人がすごく良かったからだと思います。その他の不安要素だった移住して子供が別の場所に馴染めるかという部分でしたが、今では学校や地域に溶け込み、楽しく過ごしてくれていますので私も一安心しつつ、やっぱり人なんだと改めて痛感しました。

・不便?便利?田舎暮らし

もともと田舎で育っているので、車さえあれば何とかなるという感じで抵抗はありませんでしたし、篠山のような美しい里山の風景は癒やされますね。ですので不便に思う事はないですね、でもあえて言うならと生活のコストは高いことくらいですかね(笑)不安に思っていた地域コミュニティーとの繋がり部分ですが、現在住まいは団地に住んでいますので村のお付き合いなどは思っていたほど多くはないですよ。それでも子供の学校のPTAなどの用事やイベントなどは生徒数が少ないのですごく多いですね。最初は大変に思いましたが村用もPTAとかも顔の繋がりをつくったり、人との関わり合いができるので大切だと思います。本当に家族ぐるみのお付き合いって大切ですよ。

・篠山市民の誇り「篠山城 大書院」で働く

篠山城 大書院で管理業務をしております。主な仕事は、大きく分けますと接客・案内業務・イベント企画業務・施設管理業務の3つになります。
1:お客様をお迎えし、案内して様々な質問に答え説明をする。
2:観光をPRをしたりイベントの企画業務。様々なジャンルの観光者の方に向けて企画する。
3:設備維持管理や清掃作業などの管理業務。

篠山城大書院ホームページ

・従来の観光客から「新たな観光客」に向けてのPR

大書院に観光に来るお客様は、団体のバスツアーの方が多いです。よくある旅行会社のツアーで立ち寄るケースですね。そのままでは今後、時代の変化と共に観光者は減少していくかもしれないので、バスツアーの方以外の人にも篠山の魅力を知っていただき、お越しいただきたいと考え、篠山市の歴史遺産をPRしていく新たな企画にも力を入れ始めました。
例えば、
・ブロガーとして活躍されている方に向けて篠山市の日本遺産を巡るツアーを組み、ブロガーの方の記事のネタをご提供する。我々は、ブロガーの皆様のブログのお陰で広報活動ができるというように、お互いにwin-winの関係が構築できるのではないかと思い企画しました。
・その他に毎年11月に武者甲冑のコスプレをして「いざ出陣!篠山城戦国祭」を開催したり、コスプレイヤーの方に大書院や篠山城を撮影場所として提供したり、お抹茶体験や書き初め大会などの様々な体験型イベントを企画してきました。

結果として様々な分野の方が遊びにお越しくださるようになりました。ただ闇雲に集客を伸ばせば良いとは考えてはいなかった部分があるので、各イベントに参加くださったお客様が笑顔で「また篠山に来ます」とか「篠山がもっと好きになった」などの声を頂くことが増えて来たので次回企画のモチベーションに繋がっています。やはり単純に喜んでもらえるのは嬉しい!とこの仕事を通じて強く思うようになりました。

・当たり前の事ができる強み「当たり前を極める接客」へ

せっかく篠山に来てくれるお客さんに笑顔で帰って貰いたいと思うようになり、”おもてなしの質”をもっと向上させたいと考えています。それは、大書院に限らず歴史施設4館に訪れる全ての人に満足してもらいたいという想いからです。
例えば
・挨拶がしっかりできるし、笑顔が素敵とか
・ここのスタッフに質問すれば何でも答えてもらえる
・とにかく丁寧に話を聞いてくれる
・観光客が常に何を求めるか考える
その他にもたくさんありますが「当たり前を極める接客」を強化していきたいですね。そのためには今まで以上に自分が知識、準備を向上させなければいけないと思いますが、「おもてなし・接客応対の質」が話題になるくらい取り組んでいきたいと考えていますし、その部分をPRの力に変換していきたいとも思っています。

・篠山の見所を発掘。目指すは”ささやマニア”!

篠山に住んでもう5年も経ちましたが、まだまだ篠山市内で訪れたことのない場所が沢山あるので休日には家族で色々見て周りたいですね。篠山市には伝統のある祭礼や・歴史的な町並み・登山して雲海を見るなど絶景を楽しんだりと、知りたいことやりたい事が沢山あるので、もっともっと「篠山の良いところを発掘」して、それら篠山で得た情報・体験を仕事にも活用して、地元の方以上に篠山マニアになりたいですね(笑)


株式会社 みずほ 代表 山中 信彦

・民間企業・養護学校での体験を活かした利用者目線の想いが溢れる施設

 

航空会社に14年間勤務した後、娘、瑞穂の病気を機に丹波篠山に帰ってきて早いもので26年が経ちます。前職と関連がある職種は何かな?というこうとで、平成4年にみずほトラベルという旅行会社を起業し2年前まで25年間旅行業を営みました。障害福祉の仕事をすることはその時は考えていませんでした。
平成13年頃、篠山養護学校高等部の生徒たちと北海道への修学旅行に同行する仕事をいただいたり、PTA会長時代にお母さん方の思いにふれたりしたこの頃から、娘のことだけではなく、様々な障害をもつ生徒たちの、養護学校在籍年数よりはるかに長くなるであろう「地域での暮らし」にスポットをあて、地域での福祉資源を増やし、市民の皆さんに障害者に対する理解を深めていきたいと考えるようになりました。養護学校の先生から、民間企業の経験を生かした、子どもや家族の思いの溢れる通所施設を作ってほしいと依頼されたのもちょうどその頃です。やる以上は、地域の皆さんに、より障害者への理解を深め、関わってもらえるような施設を作りたいと思い、市民参加型の障害者通所施設「いぬいふくし村」を篠山市乾新町に設立し今年で15周年を迎えます。

※株式会社みずほ 代表者 山中信彦様

・社会性を身につけ、地域社会と触れ合える障害者短期入所施設

障害者の地域での暮らしを支えていくためには、短期入所(ショートステイ)やグループホーム等の夜間施設の充実も大切と考えるようになり、平成27年3月、障害者短期入所施設を開設しました。天国に旅立った娘の名前をとって「みずほの家」と名付けました。
ショートステイは、障害者が月に1~3回程度泊りに来ていただく施設です。利用者がお泊りされている間に、社会性を身につけてもらったり、お友だちを見つけてもらう一方、介護をされているご家族の方にリフレッシュしていただきたいという思いで3年間運営してきました。そうしているうちに、ご家族の方から「町の中心地から少し離れた大きな施設ではなくて、町の中で、小規模サイズの施設で暮らすところがほしいよね。」という声があがってきました。確かに福祉の仕事をしていて痛感するのは、需要と供給が合っていないんですよ。
20年ほど前からグループホームという制度は存在していたのですが、全体的な数が足りていません、ですので少しでも増やさなければいけないのではないかと強く思うようになり、昨年12月に、ショートステイの隣地に「グループホームななつ星」を開設しました。定員は6名、入居された障害者の皆さんが地域の一員として近隣の人たちと普通の関わりと保ちたいと考えています。地域の皆さんに支えられるだけでなく、グループホームが地域の皆さん(特にご高齢者)を支える役割を果たせるといいですね。お互いに支えあっていけるような社会の実現を「ななつ星」を拠点に展開していきたいと考えています。

・立地を活かした地域と共生出来る施設づくり

篠山市は、高齢者10人に1人が一人住まいです。身体の不自由な高齢者、女性の一人暮らしが多いですね。そんな課題がある中、高齢者と障害者の共生ができないかと考えています。高齢者福祉と障害者福祉、制度的には異なりますが、「ななつ星」の空間の中で、互いに楽しく交流できればうれしいです。通常のグループホームよりリビングルームを広くとっています。先日もご近所の方にお越しいただいて、昔懐かしい手遊びなどをして楽しみました。そうしたら両者の歩調が合うんですよ。互いにゆったりしていますからね。どうしても、障害者施設の仕事で思い浮かべるのは、専門的でしんどい介護の仕事。“そんなんできひん”と思われる方が多いと思います。実際娘の時もそうでしたが、重度障害で寝たきりなので抱き方もわからない。逆に迷惑を掛けてしまうことになるかもしれない。そんな声をよく聞きました。確かにそういう一面はありますが、障害福祉の仕事には直接の介護以外にも重要な役割があります。傾聴、見守り、料理、外出支援、余暇支援など。特に余暇支援の分野では私は皆さんに「ご自身の今までの経験、趣味、特技を生かした支援が障害者にとても喜ばれますよ、心あれば誰でもできます」とお伝えしています。

 

※代表取締役社長  山中信人様

・兄弟の成長を見守っているような幸せな仕事

大学に入学から社会人生活まで市外での生活に主になり、篠山市には年数回くらいしか帰れませんでした。そしていつも心の片隅には、妹(みずほ)に兄らしいことをしてあげられていなかったという想いがずっとありました。そんな時に父からグループホームの話が出て、妹が与えてくれた良い機会なのかなと考え篠山に帰ってきてお世話になった地域の為に働きたいなと思う現在に至ります。まだ働きかけて2ケ月くらいなのですが、毎日めちゃめちゃ楽しいです。グループホームも楽しいですし、短期入所(ショートスティ)も日ごとにメンバーが変わって、どんどん仲間が増えていく。利用者さんも、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言ってくれる。僕にしたら兄弟が増えているという感じですね。利用者さんの笑顔が間近で見られる、ゆっくりですが、日々成長されている姿を近くで見させてもらっているということが幸せで、仕事をしているというよりも大家族で毎日楽しく過ごしている様な雰囲気で仕事させていただいています。

※専務取締役 山中祥平様

・お世話になった篠山に恩返し この町で花咲かせたい

兄と両親と同じですが、妹、瑞穂の存在が大きかったですね。妹に小さいことから寄り添ってきました。その妹が二十歳を超えて生きてこられたのはこの町のおかげ。篠山の温かい雰囲気、福祉なども充実してきています。他の地域で花を咲かせるより帰ってきて地元の仲間と一緒にやりたいと思いました。もともと篠山が好きなので。 もちろん、親の温かさも見てきているので一緒にできたらなというところもありました。  今後はショートスティ、グループホームをひとつでも増やして利用者さんを一人でも多く受け入れたらなと思います。近隣にはショートスティ施設が無い市町もありますので、ご縁があればさせていただきたいと考えています。


・隙間の時間に得意なことを発揮する働き方

現在スタッフは総勢20名です。介護、調理、清掃、送迎、外出支援、余暇支援、夜勤と内容も多岐にわたっています。常勤は5名だけで、あとは全員パートさんです。多くのパートさんは、他業種と兼務されていて、週に1~2回空いた時間に来てもらっています。6時半から8時半まで朝食作りに従事して9時からは別のお仕事に就かれるなどスポット、スポットで自分の希望する時間に働くことも可能ですし、自身の得意な分野を活かせる職場でもると思います。料理が得意な方は厨房、お話をしたり聴いたりするのが好きな方は余暇支援、利用者さんに編み物を教えに来ていただいたりもしています。ご自身の得意なことを発揮しに来ていただくことだけでも大丈夫です。


・あたたかい雰囲気で過ごす アットホームな職場環境

篠山市だけではないですが障害者施設はどこも働き手が不足しています。篠山市の施設を代表して言っています! ドロドロした環境ではなくとてもピュアな世界ですよ! 職員がストレスを抱えていたり、バタバタしていると利用者さんにすぐ伝わってしまいます。利用者さんの家族にはなれないけれど、家族のように思い接することはできるので、そういうところを大切にして温かくゆったりとした職場環境づくりを目指しています。障害者に対しての技量よりは気持ちが大切です。知識、技量はだんだんと備わってきますので、「障害のある人もないひとも皆んな同じ」というように接することのできる方なら誰でも務まると思います。 いつでも見学に来てくださいね。お待ちしています。