満足のいく仕事はあると思う。自分で創り出すこともできる
地元愛知県での仕事を辞めて、篠山へ移住して来て得られたもの。都会から田舎へ、企業勤めから経営者へ。林健二さん(36)は2010年に奥さんの実家がある篠山へ移住された。移住して約6年が経ち、自ら奥さんと一緒に立ち上げたカフェ「inizio」の経営に加えて篠山市へ若者の移住を促進する事業を行う「一般社団法人TUMUGI」を立ち上げた今、実感をもってそう語る。
“都会で仕事をしている時は「自分でやっている」という感覚があまりなかったんですよね。売り上げ至上主義で上司から強く言われることも多く「早く結果を出さなければ」といつも追われていたように思います。”
移住前の仕事は愛知県で飲食店を10店舗以上経営する会社だった。そこで様々なジャンルの飲食店の店長やエリアマネージャーとして複数の店舗の売上菅理・新規店の立ち上げや企画のお仕事をされていた。
人とのふれあいやつながりが濃く、戸惑うことも
地域への移住がここ数年でぐっと身近になってきた。地方創生に向けた国のバックアップやITの発達により、地域で若者が暮らす事は昔よりずっとポジティブに受け入れられる生き方になってきたかもしれない。けれど、夢だけを見て移住すると必ずギャップや壁に当たる時が来る。
“都会から来た。と勝手にハードルを作っているのは自分で、こちらから参加して溶け込むと温かく優しい人が多かった。でも「篠山はこうやぞ」って考えを強く言われた事もありましたよ。”
篠山に住む一人の人間として、これからこの町で子どもを育てていきたい一人の父親として「こういう篠山になったらいいんじゃないか」という想いがたくさん出てくる。時には地域でしっかりと根付いた人たちにとって聞こえの良くない言葉となって伝わってしまう事もある。「あまり想いをちゃんと言葉にするのが上手くないんだよね。」と言う林さんには、それでも伝えてきた想いがあるから、地域に少しづつ仲間ができ、市役所から移住定住促進の事業を委託された。
最初からできたわけではなかった
“移住した当初なんて無職で貯金もほぼなかったですしね、奥さんと一緒にアパート暮らしをしてたんですが、生活のためのお金をローソンで夜勤のバイトして、余ったお弁当でなんとか食いつないだりしてた時だってあったんですよ”
明るく笑いながら過去を語る林さん。そんな時期でも「自分はこうしたい」という想いを篠山で出会った色々な人に話してバックアップしてもらったそう。「自分で何かを解決したいと思っている人には、挑戦しやすいまち」だと話す林さんは今、自分の人生を・仕事を「自分でやっている」感覚をしっかりと持てている様に見えた。
プロフィール
名前:林健二
性別:男性
年齢:36歳
家族:奥さんのご実家でご両親と、ご夫婦と奥さんの弟との5人暮らし
所属:「cafe inizio オーナー」「一般社団法人TSUMUGI 代表理事」
移住:2010年2月
出身:愛知県南知多町
移住前の居住地:愛知県知多半島半田