ささやまだからできること4

獣害対策を軸とした地域活性化に取り組まれる鈴木克哉さんにお話を伺いました。サルやシカ・イノシシによる田畑への被害を減らす対策を実践しながら、農村体験イベントやオーナー制度と掛け合わせて地域振興にも取り組まれています。

 

 

人が温かい、農村の暮らしを守る

私は、元々は人の手がほとんど加わっていない原生的な自然に憧れて、学生の頃はアラスカに旅行に行ったりしました。そこから学生時代に獣害研究のため農村で調査している時に、身の回りにある自然を活かし、農村で暮らす人同士が支え合う暮らしや、自分や家族・親戚のために丹精こめて自分の手で作った美味しい農産物が食卓に並ぶ農村の暮らしが素敵だなと、感銘を受け、そんな農村文化を守りたいと考え、地域活性の仕事に取り組むようになっていきました。今では地域の人と仲良くなり、たくさん野菜をいただいたりしますよ(笑)。

地域の人と対話を重ね、地域活性を

地域の課題解決を目指す仕事では、地域で暮らす人と協力し合うことが大切ですね。必ずしもみなさんが自分の地域を活性化したいと同じ方向を向いているわけではないので。みなさんの共通課題である獣害対策をきっかけに、まずは、話を聞き、地域に対する想いやどういうビジョンを抱かれているかを理解します。そこから自分の想いを伝えて心を動かす。何が懸念点か聞き出し、解消するために頭をひねり、対話を重ねて、少しずつみなさんの想いを見える化していきます。そして地域外の支援したい人と結びつけていく。地域に入り込み、いろんなつながりを生んでいく。大変ですが、その過程にやりがいがあります。


ささやまだからできること3

日本六古窯の一つ丹波焼の産地として知られる丹波篠山市今田町で、若手陶芸家として活躍される市野麻由子さんにお話を伺いました。市野さんの父・兄も陶芸をされていて、家族で『省三窯』を運営されています。

 

 

陶芸に向き合うきっかけ

学生の頃から将来は焼き物づくりに関わろうと考えていましたが、実家だと親に甘えてしまうのではないかと思い、実家でやるか、他の地域でやるか迷っていた、ちょうどその時期に瀬戸内国際芸術祭のプロジェクトに関わり、そこで出会った人から「どこでやるかではなく、どのように向き合うかが大切だよ」と言われ、“ハッ”としたのをきっかけに地元に戻る決意をしました。戻った当初は、「量が成長を生む」という意識で数多くの作品を作りましたが、今は一つひとつ丁寧なモノづくりに励み、可愛らしい焼き物など、自分のセンスが出せる作品づくりに挑戦したいと考えています。

丹波篠山でモノづくりをする魅力

田舎らしい落ち着いた雰囲気が、作品づくりに良い影響を与えていると感じます。例えば、身の回りの自然から、作品の着想することもありますね。私が働く窯元は山の麓にあり、ゆったりした空気が漂い、どんな作品を作ろうか腰を据えて考えられますし、作品づくりのヒントにならないかと落ち葉や松ぼっくりを拾ってしまうこともあるんです(笑)。あとはたくさんの窯元が密集しているので、皆で丹波焼を盛り上げようという一体感があり、大先輩や同世代の仲間と話す機会も非常に多く、陶芸への向き合い方を聞けたりと、いつも刺激を受けています。


ささやまだからできること2

丹波篠山には、古きよき暮らしを感じさせる古民家が数多く残っています。その古民家再生を手掛けられている中井工務店の中井雅人さんにお話を伺いました。古民家再生以外にも、住宅建築やリフォーム、さらに他社では珍しい社寺仏閣の建築にも携われています。

 

 

古民家再生に力を入れる

弊社は創業70年になりますが、本格的に古民家再生に注力し始めたのは10年前ほどからですね。その当時、古民家の伝統工法を熟知している工務店や職人が減少していたので、戦略的にその分野に参入していくことになりました。古民家は現代住宅の工法とは大きく違っており、100年以上前の伝統工法になります。古民家特有の梁や柱の立て方といった知恵をほとんど一から学ぶことは非常に苦労しましたが、継続的に古民家再生の案件に関わることで蓄積していきました。

伝統工法を受け継ぐ

伝統工法を継承するには人から人へ直接、知恵と技術を伝えていく必要があります。そのために古民家再生の現場で熟練の職人と一緒に継続的に経験を積み、受け継いでいけるように、人材育成の環境整備に力を入れています。また近年では、大工の評価が下がっているように感じています。本来、大工は建築設計や内装施工だけでなく顧客折衝や金銭管理など幅広い役割を担います。それと合わせ宮大工が持つような社寺仏閣建築の知識や技術を身に付けたりと、大工の地位が少しでも上がるように会社としてサポートしていくことが地域の景観を守ることに繋がり、とても大切だと感じています。


ささやまだからできること1

地元食材を使った昔ながらの素朴な料理が評判の「山里料理まえ川」。地元丹波篠山に戻り、お店を開かれた前川友章さんにお話を伺いました。

 

 

地元食材でこだわり料理を作りたい

子どもの頃から地元で飲食店を持ちたいという思いがありました。京都などでの修行のあと、実際に起業を考えた時に、どうしても実家の田畑で採れたお米や野菜など、地元の生産者さんの魅力的な食材を使い、自分で納得のいくこだわり料理を提供したいという思いが強くなり丹波篠山に戻りました。そこから自身が表現したいことと、どのようにお店を運営するかを考えていきました。もちろん家族を養う必要もあり、できるだけリスクを抱えたくないという気持ちもありました。そんな時、ご縁から城下の西町にある厨房設備が整った古民家をご紹介していただき「山里料理 まえ川」を始めました。

関わるお店や人、みんなが幸せになるように

地元食材を使えば必ず売れるという訳ではないんです。お店を始めた当初は、地元食材を使えばみんな美味しく食べてくれると思っていたので苦労しましたね。地元食材の素材の味だけに頼るのではなく、私の調理経験、知識で、今までに食べたことのないような新しい地元食材の料理の提供をしています。また、食材を提供してくださる人や事業者に貢献したく、壁に貼ったメニューに食材の仕入れ先を載せ、名前を宣伝させていただいています。自店舗だけにお客様が付くのではなく、関わるお店やみんなが幸せになる関係を作りたいので、今後はお酒を造る人や器作家さんなど異分野の人とコラボして、各自のお客様を送り合えるようにしたいですね。


農業はじめの一歩5

認定新規就農者

どろんこやさい 大坂 宇津実(おおさか うつみ)さん(26歳)

 

学生時代から丹波篠山の「農業」に関わり、丹波篠山の「人」の魅力に引き込まれました。「農」に魅了されたこの地で、自分の適性を活かせる活動の原点を築くことを目標に、そして自分の成長=地域への貢献につながるように頑張っています!

・現住所
丹波篠山市黒田

・経営品目
黒枝豆、野菜類

・経営面積
2.6ha

・ホームページ
 http://doronkoyasai.com/

 

大学の地域密着型サークル「にしき恋」の立ち上げ

神戸大学農学部に在学中、せっかく農学部に入ったのだから学問としての農学だけでなく、実践体験をやってみたいと思い、7年前に「にしき恋」という名で西紀南地区内の農家のもとでの農作業ボランティアを主活動とするサークルを同級生と立ち上げました。最初は、「農業」ってどんな世界なんだろう?とにかく「食」が好き!そんな単純な興味があって活動に参加しました。毎週活動する中で、農作業は労働というよりもスポーツ感覚で楽しかったし、何より自分が手をかけた野菜を使った昼ごはんは抜群に美味しかった。同級生のみんなと合宿感覚で来ていました。活動中、篠山の農家の方々から、普段都会で生活していると知れない農村ならではの話等、色々なお話を聞かせてもらう時間をとても心地よく感じていました。「丹波篠山って、景色も良いし、ゆっくり時間が過ごせるし、楽しい!なにより人があたたかくて素敵。都会にはない魅力がたくさんある!」というのがサークルを通して感じた農村・篠山の魅力です。

「農業」に対する興味が湧いてきた

農作業をする中で、「この作業はどういう理由で必要なのかな?本当に必要なのか!?」逆に「この作業は何故しないのかな?」など、たくさんの疑問点がありました。色んな作業に対していろんなやり方・考え方があって、それを考えるのが楽しくて、実際自分がやるならこうしてみようかな?なんて作業中ずっと考えながらサークル活動に参加していました。頭で考えて体を動かす。そんな作業が面白く、どんどん農業が楽しくなってきました。「将来、仕事として農業を選ぶのもひとつの道だな」と考えるくらいに農業に魅了されました。農業は場所や人によっていろんな経営形態があると思うので、丹波篠山以外の農業も見てみたいと、大学3回生の夏休みにはドイツに農業インターンに行きました。そこはぶどうの栽培から加工・出荷を自社で行い、さらにはレストランやウエディングパーティー、ケータリング等、六次産業化までを家族経営でしている農場でした。一番の学びは、農業は作ることだけが仕事じゃないんだなということ。驚きとともに農業という仕事の可能性が自分の中で大きく開けて、感動しました。生産したものを自分なりにアレンジして販売することも、生産から加工等といった展開をすることも簡単ではない、でも農業ってそれもできてしまう仕事なんだと実感しました。農業はあらゆる方面に派生できる可能性を秘めていることをドイツで学びました。

「サークル活動」から「仕事」として考え始めた農業生産

大学後半に入ると、研究室に入り、日々研究・論文等追われるように過ごしていました。大学院の夏休みになると就職活動を控え自分の将来を考える時期になり、このまま企業に就職することが当然なのかなと悩みましたが、今まで経験してきたことで自分のやりたいことってなんだろう?と思い返してみると、農業がありました。一念発起し、大学院を辞め丹波篠山に移住してきました。学生の時から篠山にご縁があったとはいえいきなり都会から移住してきた若造であることには変わりなく、本当にできるのか?続くのかなという印象はまわりの皆さんもちろんおありだったと思いますし、当分は「学生さん」と思われていました。そんな中でも地域の皆さんが暖かく応援してくださり、学生時代からお世話になっている方にもお世話になり、こんな未熟な自分に農地や機械をお貸し頂いて農業をスタートすることができました。ドイツで知ったような色んな展開をしていける農業にはじめから憧れはありましたが、そもそも生産物をつくる力もないのに展開もなにもない。まずは生産の部分からしっかり土台を作って経営力をつけたいと考えています。

「農作物」を通じて伝わる「自分の思い」

人は食べ物を食べることで生きています。個人的に、僕は食べることが大好きです。だからこそ食べ物を作るこの仕事がとても好きで、やりがいのある仕事だと感じています。そして作るからには、良いものを作りたい。良いものって何だろうと考えた時、人が健康でいるためには健康に育った野菜が必要なんじゃないかと思い至りました。人と同じく野菜も生き物だから、育つ場所を整えてあげなくちゃ健やかに育つことができない、健康な野菜作りのために必要な土作りや栽培技術の習得に日々取り組んでいます。新しい技術や知識はどんどん更新されていくので、それを自分の農業に活かしていくために欠かさず情報収集・勉強はしていきたいと考えています。

現在は、2.6haの農地をお預かりし、豆、野菜類を作っています。主な作目は丹波黒で、やはりこの丹波篠山という土地にも合っていますし絶大なブランドイメージもあります。既存のブランドの活用や自分なりの生産物の売り方を見出しつつ作付面積・生産量を年々増加させています。生鮮品の販売だけでなく加工品などの展開も少しずつ進めている最中で、農業生産をまず確立させるべく取り組んでいます。

自由な発想の農業経営を目指す

農業生産を基軸として経営を確立しつつ、多分野に農業という仕事を広げていきたいです。野菜を作る・売るだけではなく、生産物を通じて別分野・人とのいろんな関わりしろが農業にはあると思っています。飲食とも、アウトドアとも、ファッションとも、可能性は至る所にあって、そういった展開をできる農業を存分に楽しんでいきたいと思っています。農業や農業以外の事業体・移住者さんとも交流して新しいことを始めるキッカケを作れるような、そんな会社をいずれは作りたいです。いろんな展開の根本に農業生産があると考えで、そういう新しいアクションを起こしていくためにもまずはもっと、生産面を強くしていきます。

今の僕にできるサポートがしたい

僕が移住した時、移住者はまわりにほとんどいませんでした。移住してかれこれ三年半が過ぎて今は一緒に農業に取り組むメンバーがいて、さらには農業以外の分野でも起業している同世代の方々がまわりにたくさんいます。こういうコミュニティが人を繋いで、これからも篠山に移ってくる若者は増えていくと考えています。地元に若者がいない、出て行ってしまうとよく聞きます、だからこそこのコミュニティを大切に広げていきたいです。今の自分にたいそうなことはできないですが、個々のしたいことを実現させるために「仲間」としてサポートし合えたらなと思っています。

そして、せっかく移住してきたんだから地元の方々とのつながりを大切にしていきたいです。僕は地域の方々が大好きだし、そんな地域の中で楽しく活動していきたいと考えています。もちろん起業目的での移住はお金の面で苦労したり、田舎ならではの地域活動の仕方などはじめわからなくて難しいことも多いと思いますが、コミュニティの中でいろんな面でお互いサポートし合えたらなと思います。そしてこの丹波篠山で、地元に馴染みながらみんなで楽しんで活動していけたらと強く願っています。

 

「丹波篠山は最高です。将来、子育てするにあたっては、こどもにいろんな世代の人と関わって欲しいと思っているので、この地域で子育てすることが理想的だと思っています!」と語ってくださった大坂さん。Iターンの若者だからこそ感じ取れる「丹波篠山の魅力」を存分に発信し続けて下さい。

(2020年2月)


農業はじめの一歩4

認定新規就農者(現在は、認定期間終了)

SATORU FARM 中岡 聖(なかおか さとる)さん(38歳)

 

スーパーで見かけた野菜を見て、農業がやってみたい!と飛び込んだ丹波篠山。大規模農家さんで積んだ経験を軸に、自分らしい農業を実践中です。地域のお世話になった皆さんに恩返しができるよう、新しい取り組みを楽しく実現するために頑張っています!

・現住所
丹波篠山市下筱見

・経営品目
水稲、黒枝豆、黒豆、野菜

・経営面積
水稲1.6ha、黒枝豆・黒大豆40a、野菜20a

 

小さな疑問から、「農業と移住」へ

大阪の摂津市に住んで老人介護の仕事に励んでいた頃、スーパーに並んでいた野菜を見て、「普段食べているお米や野菜がどうしたらここまで育つのだろうか、知らないまま過ごしていていいのかな?」とふと疑問に思い、そこから「農業のできる移住先」を探し始めました。自身も嫁も資格を有しているので、どこでも食べていけるという自信はありましたし、子育ての環境としても田舎暮らしが理想であると家族も賛成してくれました。神戸の臨時移住相談会で偶然座った当時の篠山市のブースで相談員さんと話が盛り上がり、「丹波篠山、おもろいやん!」と移住先に決め、筱見の土地に出会って家を建てました。生活に至便よりも、農業ができる場所を求めて決めました。しかし、全くの農業未経験者です。先ずは、農業を勉強することから始めなくてはと、ハローワークで「丹波たぶち農場」を紹介してもらい、トントン拍子に話が進んで怖いくらいでした。

こんなに「キツい」仕事とは…そこから得られた感動!

6月の忙しい時期から勤め、何もわからないまま言われたとおりに動く毎日が続きました。暑い中での作業中、持参した飲み物も全て飲み干してしまい、田んぼの水が「美味しいコーヒー牛乳」に見えて飲もうとして止められたことは、今でも覚えています。それぐらいキツかった。それまでは、冷暖房完備の中で仕事をしていましたから、外の仕事がこんなにハードだとは想像していなかったです。スポーツ根性もあって、辞めたらあかん!と思って頑張りました。丹波たぶち農場さんでは常勤で3年お世話になりました。丹波篠山の農家さんのやり方を1から教えてもらい、就農経験の最初が丹波たぶち農場さんで本当に良かったと思っています。働いているうちから、自分の田んぼも少しずつ手掛けて、就農への思いは変わることなく準備していました。初めて自分の田んぼで収穫した時は、嬉しすぎて、めっちゃ泣きました。ホンマに感動した、その気持ちは忘れてはいけないと思っています。今は筱見のやり方も取り入れ、自分なりのアレンジを加えた中岡流の農業を実践しています。

僕は、「地域密着型フワッとタイプ」就農です!

仕事として「やらされた感」がなく、自分の好きなことを自由にマイペースに取り組んでいけますから、とにかく農作業が楽しいです。何かにつまづいても「なるようにしかならないから」と思って受け入れ、次の手立てを考えていきます。ガチガチに考えないで大まかにフワッと前に進めばいい、おおらかな気持ちで農業ができるのは地域の皆さんのおかげです。最初は農地をはじめ、トラクター等何から何まで貸してもらいました。恵まれた環境で農業させてもらっています。一人でできる作業ばかりではありません。みんなで協力しあって、助け合いながら美味しいものを作る経験ができるのが農業だと実感しています。しかし現実、就農だけで家族を養っていくことはできていません。僕は、農業とは別に、猿の監視員と狩猟をして生計を立てています。狩猟の資格もこちらに来てから取りました。地域に役立つ仕事としても重要であると考えたからです。獣害柵の点検はされていますが、実際破られているところがあります。僕たちのような若手も巻き込んで、点検していければ改善されるところは多くあります。今年は隣接した地区も回ってみようと思っています。何事も一緒にすれば良いんですよ。

また、年に数回市内の若手農家同士で親睦会を開き、意見交換をして刺激を受けています。僕は、減農薬減化学肥料で農業しています。一方では農薬不使用で取り組まれているメンバーもいて、お互いの農法を認め合っています。市内の他地域の農家同士の結束を強めれば、丹波篠山の農業の活性化に結びつけられると確信しています。

地元の皆さんを崇拝しています!

丹波篠山に魅力ある農作物ができるのは、長い年月をかけて、この風土や農地を守ってこられた地元の皆さんのご努力があるからこそです。そのおかげで、僕たちが農業に取り組めるのです。「田んぼは、村で守っていかなければいけない」という地元の皆さんの思いにとても共感しています。だから、もっとその思いを形にしていけるお手伝いがしたいです。農業が生業として食べていける仕組みづくりを筱見発信で、他の地域に注目されるような感じでできれば最高ですね。同時に、村に収益が入るようなシステムを作りたいです。この地に還流人口を増やして、興味を持っていただくイベントで美味しい野菜とお酒もあれば〜僕も盛り上がる!とか(笑)。突拍子もないことを考えるのが好きなんです。実現に向けては、期限とか年数とか決めないで進んでいければいいと思っています。地域の人達の意見を聞いて、無理のない計画を立て、地域として取り組むために必要な進め方です。一人ではできないので、みんなを巻き込んでいつかできたらいいなとワクワクしています。

丹波篠山で農業するなら、地域に溶け込む努力を!

丹波篠山で就農移住をされたら先ずは、挨拶をして下さい! 知らない人でも、挨拶して下さい。地域の皆さんは、どんな方が来られたのかと気にされているだけなのです。僕も、移住してきた当初は、村の中を通る車に頭を下げ、お出会いする方には声をかけて、自分の存在を知っていただくところから始めました。半年も経つと、知らない車が止まっていたら気をつけてくれるし、子育ての面ではめちゃめちゃいいです。本当にお世話になっています。「監視されている」と感じるか、「見守られている」と感じるか、本人の主観で受け取り方が変わります。

自分の思いや考え方を100として、その100全てを相手に理解してもらう事なんか無理です。やりたいことを実現させるためには、長いスパンで計画していかないとできないのが農業であり、地域に溶け込める移住です。一人では、何もできません。村の人の意見を聞いて、まず地域の考えを理解し、信頼関係が築けた上で、自分のやりたいことを伝えていかないとやりたいことを実現できないのです。徐々に理想に近づけていこうと考えられる人でないと、田舎で農業して暮らすのは無理です。仲良くできることが、気持ちよく自分のやりたいことに邁進できる鍵です。田舎暮らしは都会の生活より人付き合いの面で、全く違うと意識して欲しいです。お互いの理解の上に成り立つ人間関係が必要です。そして、僕自身が、村の皆さんにお世話になって嬉しかったことを、新規就農される皆さんにしていきたいですね。一緒に楽しく前進していきましょう。

狩猟もされている中岡さんですが、実は動物アレルギーをお持ちだそうで…始めは猟犬にも近寄れなかったそうです。もう一つの夢は、大阪時代のお友達との飲み会に「特急コウノトリ」を利用して駆けつけることだそうです(笑)移住されて6〜7年。その中で色々なご苦労があったと思いますが、笑顔で「楽しい!」を連呼される姿に、丹波篠山で育った人に負けないくらいの「丹波篠山愛」と「地元愛」を感じました。

 

(2020年2月)


農業はじめの一歩3

兵庫県女性農業士

酒井農園(丹南有機農業実践会) 酒井 菊代(さかい きくよ)さん(64歳)

 

丹波篠山生まれで農家の家に育ち、有機栽培を初めて45年。農業において女性の立場の確立や有機野菜を通じて後継者の育成、在来種の保存等多方面で丹波篠山の農業と向き合って頑張っています!

・現住所
丹波篠山市油井

・経営品目
有機栽培(水稲、野菜30品目以上)

・経営面積
140a

・運営組織について
設立45年目を迎えた「丹南有機農業実践会」のメンバーの1人として、主に阪神間の消費者に向けて、販売・発送(パック野菜)をしています。

跡取り娘として育てられましたが…

跡取り娘と言われて育てられましたが、小さい時から農作業の大変さは目にしていたので「農業は絶対するまい!」と思っていました。父の許しもあって、保母資格の取れる地域の高校を卒業し、京都で保母さんになりました。1年半務めて篠山に連れ戻され、公務員の主人と結婚し、子宝に恵まれました。その頃父が、畜産の堆肥の問題からそれを肥料に農薬を使わない農業を始めました。乳価が下がり始めたこともあって、有機に移行しようという時代でした。そして今から45年前に「丹南有機農業実践会」が発足しました。

「有機野菜が必要とされている!」と知った衝撃

子供が2歳の時、風邪をこじらせて入院した時のことです。小児病棟に通いだし、食物アレルギーを持つお子さん、それも「これを食べたら死ぬんです。」というようなお子さんをお持ちのお母さんたちと沢山出会う機会がありました。「無農薬野菜を探しているんです!」と切実に訴えられ、そこで初めて、うちのお父さんはすごいことをしていると知りました。私の意識が変わったのもそこからです。この人達のために、私は力になれると思いました。化学肥料や農薬の怖さは知っていました。農薬をまいた日に母が寝込んでいたのは、それが原因だということもわかりました。

「うちの子は、この野菜が好きだから作って欲しい」など、お互いに子供をもつ母親同士が意見を言い合って切磋琢磨していきました。有機野菜は手間と費用がかかります。天候などで上手にできなかった野菜も引き取っていただくお願いをしました。こちらから価格の相談や同じ野菜を飽きないように食べてもらえるようにレシピの提案を持ちかけたりしました。形の揃わない野菜であっても理解して購入していただける消費者さんとは、顔が見える生産者としてだけでなく、もっと深いところで繋がっている「信頼関係」が築けました。

阪神淡路大震災の影響

原則として土付きで販売していたものが、被災地では水がないので洗って出荷しなくてはいけなくなりました。それは作業の上で、大変な労力負担になります。また、洗うことで鮮度が落ちることもあります。昔は新聞紙で包んで出していましたが、曇らない袋に入れて根を切って出荷しなくてはいけなくなりました。土付きの野菜はマンションでは販売できないなどの基準も変わり、有機野菜にとっては辛い条件です。何より震災の影響でお客様が減りました。

消費者の皆さんにわかって欲しい

農薬の怖さも、その理由を知って怖がって欲しいと思います。ただ怖いのではなく、どう影響を受けるのか…伝えるのは非常に難しいです。海外では使ってはいけない農薬を日本は使っているのですよ〜と説明します。また私は、有機JAS認定をとっています。今まで有機でやってきているのに、JASマークを外した時点で普通の慣行野菜と同じだと国から言われるのは、今までやってきたこと、自分の人生が全否定されたようで許せませんでした。「丹南有機野菜実践会」は、国の取り組みより先に有機野菜栽培に取り組み、農薬・化学肥料一切なしとJASより厳しい基準の中でやっています。その縛りがないと、組織として継続し成り立たせていくことはできないと思います。市外の消費者さんがその価値を理解して買ってくださることは、本当にありがたいことだと思っています。しかし一方で中国は、村全体で有機農法に取り組んでJASマークを付けて日本に輸出しています。日本の検査機関が中国に行って検査をしたら日本のJASマークを付けて販売できるのです。空輸にしろ船にしろ、鮮度やその他のことも気になりますがJASマークは付いていますので、日本国内で高価格で販売できます。何とも不思議なことです。購入されるときは日本のJAS認定でも産地をご確認下さい。

地元で育ったからこその思い

地元ならではの「心持ち」があります。先祖から受け継いだ農地はもちろん、ある意味地元を背負っている責任があります。「守る」という思いは、地元の者にとっては今後の大きな課題とも言えるでしょう。農業でも高齢化が進んできました。今後、その農地を次の世代に引き継いでいくために「篠山自然派」を立ち上げ、活用していこうと思っています。「篠山自然派」の会を通じて、色々な方にお出会いできる機会があります。知らない話を聞くことや、人と繋がっていく楽しさを実感できることは素晴らしいし、本当に勉強になります。有機で新規就農の移住者さんが「篠山自然派」のメンバーに加わり、それはそれは見事な野菜を持って来られます。丁寧に作った野菜は、畑に行った回数がわかるんです。そういった方々に長年有機で取り組んできた農地をお願いする事を考えています。色々な方々と繋がらないことには、今まで守ってきた有機の畑を守っていけないのが現状です。

有機農法で就農は本当に大変ですよ!

同じ作物が同じようにできることは、有機農業ではありえません。肥料の効き方も違えば、それぞれの個性があって当然です。夢を見るほど虫取りをします。成虫を見たら負け。卵、幼虫の間に取る。ひどいときは、被害が広がらないように、木から抜く。長年の経験から学んだことです。有機農法で毎年決まった収穫が得られることは、本当に難しいことなのです。私は、主人が公務員でありつづけていてくれたからこそ、有機農法を続けてこられました。酒井菊代の作る有機野菜を信用して買い続けてくれた消費者さんにも支えられています。「丹南有機農業実践会」は色々な研修会に参加させてもらい、学びを与えてくれたことに感謝しています。県や国の有機農業会にも入り、組織で取り組むことで情報が入り、実践に結びつけていける強みを感じました。有機野菜の販売も急速な流れで変化していますが、長く続いているのは、様々なつながりの中で継続できたのだと思います。

それでも有機農法がやりたい方へ

とりあえず丹波篠山に住んで、小さい面積から始めて下さい。そして販路を確立させてから、作り始めてほしいです。作ってからでは、間に合いません。自分を信用して、どんなものでも買ってくださるお客様を確保してからでないと進めません。また、1つの品種だけではお客様は満足されません。最低5種類の品種を商品として収穫する事、土作りも含めて5年はかかります。その中で土も変わるし、自分の技量も上がります。買い支えてやろうというお客様とお客様のために作らせていただくという思いの生産者との立ち位置が確立できないと、有機での生業を続けるのは難しいです。生活の中に有機を組み込み、冬は暇だから味噌を作り、落ち葉を集める、そういった生活の一部にすることも重要だと思います。せっかく始めていただくなら、5年頑張って良い野菜のできた時の嬉しさや喜びを味わっていただきたいですね。続けるためには、大変さを笑って楽しめるようにならないとやっていけません。その中でお客様との信頼関係を築いていけます。この丹波篠山に移住して頑張ろうとする人を、大切にしたいと思います。また、自分の家族にも他の方にも、自分の取り組んでいる姿は、包み隠さず見せていきたいです。もがいているところしか見せられないかもしれませんが、現金収入は大事であることも言い、有機を生業とする難しさと楽しさを一緒に伝えていきたいです。丹波篠山の小さな農家さんの生き残り方を一緒に見出していきましょう。女性農業者さんのご相談もお待ちしております!

(2020年2月)


農業はじめの一歩2

認定農業者

きりのやま農園 三原 宏明(みはら ひろあき)さん(41歳)

代々受け継がれた農地を引き継ぐ道を選び、伝統野菜である“山の芋”を作ることで、丹波篠山の良さに改めて気づきました。丹波篠山の魅力を「自分の作った特産品」を通じて、多くの方々に知っていただけるよう頑張っています!

・現住所
丹波篠山市佐倉

・経営品目
山の芋、黒豆、コシヒカリ

・経営面積
460A

・インスタグラム
#きりのやま農園

自分の志す“ものづくり”が農業にあった!

「ものづくり」に関わることが学びたいと地元の高校を卒業後、大阪芸術大学に進学しました。都会への憧れもありましたし、都市部にこそ文化があると思っていました。大学卒業後は、阪神間で美術の教師をしていましたが、やはり「ものづくり」に携わる仕事につきたいという思いが強く心にありました。そんな時、「古代ものづくりとは、作物を作ることだ」と知り、衝撃を受けました。父が祖父から営農を受け継ぎましたが、体力的にきつくなっていた時期でもありました。そこで、地元で就農している同級生に相談したことで、丹波篠山の農業を見直すキッカケをもらいました。「農業をやっていく=(イコール)起業やからな。自分の計画がしっかり立てられないと手を出しては行けない」と厳しいことも言われました。同時に「農業も文化だ」と捉え直しができ、やってみようと決意しました。

「山の芋」への熱い思い

祖父の手伝いをしながら、小さい頃から見ていた山の芋づくりですが、いきなりできるものではありません。農大の講座や地域の講座に1年ほど通い流れを勉強しました。自分の家の農地を実践に使いながら、ノウハウを自分の中に作っていくことから始めました。良いことをされている農家さんがあると聞けば、積極的に質問に伺いました。自分がやると決めたのだから、いい加減なことはできませんしね。目的を決めた時点で、手段は選んでいられません。無駄な作業を省き、手間を必要とするところは惜しまず、食物という生き物と対話しながらの作業です。経営の面では、効率よく良いものを多く取れる土作りや肥料の見直しを毎年考えて工夫しています。しかし、自然相手のことです。思ったようには絶対にいかないものを相手にして作業しているのだと心に止めています。

丁寧に土作りをし、土の中の山の芋の状態を葉や土の様子を感覚で感じ取りながら作業します。精魂込めて収穫した山の芋に「生命力」を感じます。そして買っていただいたお客様から美味しかった、また欲しいと言っていただけることは、「ものづくり」の醍醐味です。

Uターン就農者のハードル

自分の技量もおぼつかないまま、農地を引き継ぎました。放棄地にしないために、必死に耕作しました。今でも米・黒豆・山の芋などの耕作面積をどうしていくかを常に課題として考えています。

今の時代に合ったやり方をしようとする時、もっといい道具があるのはわかっていても経費の面から古くても「ある機械」でやりくりします。違う箇所が順番に壊れ何度も修理費がかかります。所有しているからこその悩みです。それに加えて、目標とする耕作面積をするために新しい機械がいる時、投資が必要です。

また、時代に合わせた新しい取り組みをする時、考えの違う家族の理解を得る苦労があります。祖父を支えきた祖母に自分の作った山の芋を自慢気に見せた折、「ようあんな傍若で豪快なやり方でできたなぁ。」と言われたことがあります。「えっ、そんなふうに見てたんや」と驚きました。ベテランの方が言うことに確かなところや参考になることが沢山あります。祖母の作業の所作、手の運びなど無駄のない動作は理想です。ベテランのやり方と新しいやり方とのバランスです。柔軟な対応と工夫が常に必要な仕事だと思います。

地域の農業を考える上で、Uターンの人間だからこそのメリットもあります。農業は地域との繋がりはとても重要ですから、そういった意味でのスムーズさは利点です。

丹波篠山に戻ってきてからの変化

同世代の農業者さんが多いので、横の繋がりがしっかりとあります。それぞれのやり方を認め合いながら相談できる仲間がいる環境は、心強いです。生活面でも当時は関りの薄かった7歳上の先輩と子育てや共通の話題ができて話ができるようになりました。中高生の頃のイメージとは違う自分を理解して接してくれ、受け入れてくれたことが嬉しかったです。

農業を始めて「天気」は特に敏感になりました。丹波篠山の強粘土質の土は、雨が降ると作業に大きく影響します。濡れた土を耕してもガラガラの土の塊の畑になってしまいますから。ずっと外で仕事をしていると、空を見上げたり、急な気温の変化など感覚で予測できるようになりました。

妻や子供との関わり方にも変化がありました。農業は定休がない反面、常に生活と仕事が重なっている状態です。農作業を手伝ってくれるので、一緒に過ごす時間が増えました。妻の「仕事への理解」も深まりました。若い頃と違い、妻や子供と住むことで、丹波篠山で生活することの良さがわかってきたように思います。

昔を知っているからこそ、これからの農業に必要なことを考える

祖父の営む、農業に勢いのあった時代を見てきた僕は、現代の「生業」としての農業の立ち位置を考えるようになりました。1次生産の重要性は理解されつつも、中小農家が利益を追い求めることが難しい時代になっています。温暖化の傾向も年々進んでいるように感じますし、離農者が増えつつある現状を考えると、今から計画して必要なことをやっていかなくてはいけないと感じています。自然環境の変化で、丹波篠山だからこその特産の栽培が難しくなるかもしれないとも思っています。農業は体力も必要ですし、これからの時代はコミュニケーション能力も備わっていないと難しいと思います。特色を持ったビジネスモデルを持ち、商業的な取引や交渉術が必要です。なにより良質な作物を提供して信用を構築していく努力が求められています。また若手の農業者が地域貢献に力を注ぎ、丹波篠山の農業の活性化につながる動きをとることも重要です。伝統野菜の山の芋を守りつつ、地域と関わりながら担い手として頑張ろうと思います。

戻ってきてよかった!

篠山の良さを伝えようと始めた農業ですが、実際に丹波篠山は農業に向いている地域だと思います。京阪神からアクセスもよく、住みやすく、空気も良いし、生活に潤いがある町です。丹波篠山産のブランド力も実感しています。景観の魅力である「田園風景」を守っていく上での農業も大切な財産の一つだと捉えています。そこに従事できるのは、誇らしいことです。「山の芋の三原さん」と言われるようになって、周りから自分の農業を認めてもらえていると感じられるようにもなってきました。何より、祖父の残してくれた種芋を引き継ぎ、良さをわかって大切に取り扱ってくださるお客様に恵まれているのは、本当にありがたいことです。こんな風に思えるのは、戻ってきたからこそです。

 

地元を一旦離れたからこそ生まれた「郷土愛」に満ち溢れた三原さん。丹波篠山の山の芋の認知度を上げるために様々なご努力もされています。日々、色々なことを考えながら、「農業では同じ失敗を2度と繰り返さない」を信念に取り組んでおられます。自分の主体は「生産者であることだ」ときっぱりとおっしゃったお顔が印象的でしたが、「家族サービスの時間を作ることが、今後の一番の課題になりそうだ」と優しいお父さんの一面も見せてくださいました。 

(2020年2月)


農業はじめの一歩1 

認定農業者

quatre ferme(キャトル フェルム) 森田 耕司(もりた こうじ)さん(46歳)

有機野菜を「消費者」から「生産者」へと立場が変わったからこそ、本当に安心して食べていただける完全な有機野菜を手掛けています。また、オーガニック「和綿」の生産から製品にするまでをプロデュースし、農業の可能性を広げていくために頑張っています!

・現住所
丹波篠山市辻

・経営品目
和綿、黒大豆、黒大豆枝豆、小豆、水稲

・経営面積
7ha

・キャッチコピー
和綿を丹波篠山の特産に!

導かれるように丹波篠山で就農スタート

以前は神戸で花屋を、妻は保育士をしていました。夫婦で一緒にできる仕事がないかを模索していたそんな折、有機農家さんにも色々あり、消費者が安心して買える有機野菜が少ないことを知りました。毎週有機野菜を送っていただいていた丹波篠山の農家さんへ手伝いに行っている中で、「移住して農業ができるかな?」と相談したところ、「1年くらい研修で教えてあげるよ。」と快く受け入れていただきました。兵庫県の研修制度を利用して、1年間勉強させてもらいました。同時に家を探し始め、予想以上に早く移住することができました。研修後、地域の皆さんのご理解もあって、2haの農地を貸していただくことになり、新規就農者としてスタートしました。丹波篠山に縁があったのですね。

新規就農初年度で体験した「悲劇」

有機農法・自然農法に取り組む中で、種を蒔き、草を刈り、研修で学んだことを日々実践しました。自然相手の作業ですから、楽しむというよりは「やらねばならない」という感じです。

秋を迎える頃、農業の「厳しさ」に直面しました。収穫前の時期、イノシシや鹿の被害に会いました。黒豆は全滅、お米もイノシシにヤラれました。獣害がこんなにも酷いとは思っていなかったので、呆然としました。作付けなどが上手く行かないのは自分の責任なんですが、獣害だけは、いくら策を講じてもゼロにはなりません。悔しさばかりで、言うていくところがないんです。畑の真ん中で叫ぶこともできませんしね。

農業をカッコいい・スタイリッシュな仕事の原点にする

私は、農作業が辛いと思ったことはありません。自分の好きなことしかしていませんから。

でも、同じ考え方以外のもっと多くの皆さんに農業に興味を持ってもらいたいんです。その計画の一つに、自分たちで作った作物を使ったカフェ事業を考えています。私達にそのノウハウはありませんので、料理に興味のある方や接客業に興味のある方との雇用が成立すれば、農業発信で3次産業まで繋げていけます。それぞれが好きなところから関わっていくうちに、農業に興味を持っていただけるようにプロデュースしています。農業が泥臭い仕事ではなく、あらゆる可能性を生み出す原点であり、百姓は原材料を握っているからこそ何でもできるんだ!と理解して欲しいです。そのためにも利益の伴ったスタイルを確立させていかなければいけないと思っています。

健気なオーガニック和綿の野望

現在7haの農地をお預かりしています。その中の3haで和綿を栽培しています。個人では国内最多の和綿栽培量を誇っています。もちろん有機栽培です。綿は、農薬使用量第1位の農産物です。海外では枯葉剤を使用して、一度にコンバインで収穫しています。環境に配慮したオーガニックコットンが注目されている由縁です。日本の気候にあった和綿が、機械紡績と安価な洋綿の規制緩和により衰退してきました。しかし、農業栽培品目として優れている和綿をどんどん増やしていきたいのです。無農薬でも虫はつきにくいですし、マルチを敷けば畝の間の草を刈るだけです。

綿は腐らないので、急いで収穫する必要がありません。9月末から1月の間が収穫時期ですが、黒枝豆の収穫が忙しい10月中はそちらを優先できます。下向きに綿をつけて、健気に踏ん張って待ってくれます。収穫もスポッと取れて軽いので、お年寄りも楽に作業してもらえます。

ふわふわの綿の収穫の後の指先はツルツルになりますよ。何より魅力的なのは獣害に合わない事です。イノシシが入ってきてもミミズを掘り起こして食べるくらいで、綿には見向きもしません。新芽の頃に気をつけるくらいでよいのです。5月に種を蒔いて、8月に摘芯しますが、ほとんど手間がかかりません。連作もできるので、空いている農地を利用していただいたり、耕作放棄地にも活用できると思います。

収穫後の綿繰りもお仕事の一つとして、就労施設にお願いしています。そして今始動しているのが、ブランディングです。アパレル部門として担当者を雇用し、製品化についてお願いしています。オーガニック和綿の価値をわかっていただけるような商品をアパレル関係に波及しようとしています。ここでも、農家発信のカッコいい、スタイリッシュなお仕事の一環としての事業確立を目指しています。

「丹波篠山産のオーガニックコットン」が、安心で一生使っていただける商品になろうとしています。もちろんリスクはあります。しかし怯んではいられません。森田の作った綿が製品になってもらうところを見てもらわないと、作ってみようと思ってもらえないいのでね。この事業が軌道に乗れば、丹波篠山の新しい特産物が誕生するのだと信じて、突き進んでいくのです!

丹波篠山で新規就農を考えておられる皆さんへ

僕のところにも相談に来られます。1〜2年、上手く作物ができなくても食べていけるお金は持っていないと絶対無理やでと言います。僕もそうしましたので。家の水回りの改修費も予算の中でいける物件を購入しました。賃貸5000円とかでお金も蓄えずに就農するとか、「農業をなめんなよ!」って感じです。お金=(イコール)覚悟だと思うんです。覚悟のある子は、ちゃんと貯金してくるし。補助金目当ての子には、「それだけでは食べていけないで」と言います。農業辞めたら、その分返さないといけないこともちゃんと理解してほしいです。僕たちも機械を一から揃えるために認定農家になって、金融公庫さんからお金を借りられるようしてきましたから。計画をしっかりと立てて、農業を生業として考えてほしいですね。

もう一つ重要なのは、家族と地域の理解です。農業は、一人でできません。農家の田舎暮らしは、大変忙しく休みが無いに等しいです。都市部の生活のほうが、ゆっくりしていたように思うほどです。そんな生活リズムを理解してくれる家族の支えは、とても重要なポイントです。

地域の理解も同様に、とても大切です。借りた農地で綿を栽培している時に、作業の仕方などを見てもらっている中で、「うちの畑もやってくれてないか?」「畑辞める言うとってやから聞いたげよか?」と紹介していただいき、全て受け入れるようにして畑を増やしてきました。子育てをする上でも、ご近所の皆さんに助けていただいたことは、数多くあります。

高齢化の進む中で、地域の方々と理解し合いながら、私達、若手農業者が担っていかなくてはいけないという思いが年々強くなってきました。これから、丹波篠山で就農しようとお考えの皆さんには、農業だけでなく地域のことも考えていただきたいです。


虫やカエル、蛇が苦手な森田耕司さん。「苦手でも農業はできますよ!」と断言されていました。「綿畑の野ネズミが、うちの綿で家を作っていますよ。4000円/kgしますよ〜と言いたいですが、うちの綿が喜んで使ってもらえていると思うと嬉しいです。」とにこやかにお話してくださいました。

新しい視点で、新しい動きをされている森田耕司さん。丹波篠山には、まだまだ可能性を秘めた農業があることを教えて下さいました。

 

(2020年2月)


Uターン女子life#6

仙林 寛実  Tambasasayama-kyoto

「学生の頃と今では地元への感じ方が違います。今の方が丹波篠山に住んでおられる方の温かさを感じますね。」このようにお話されるのは、Uターンされた仙林さんです。学生の頃に都市部で暮らしたいと思い、地元を離れられた方は多いのではないでしょうか。仙林さんもそんな一人でした。

早く地元を離れたいと思っていた学生時代

―― 高校卒業後に地元を離れられたのですか?

「外国語を勉強したいと思い、京都の大学に通うために地元を離れました。正直に言うと、高校生の頃は早く離れたいと思っていました(笑)。どうしても思春期の頃は自分の憧れるイメージ像があり、それを追い求めたと思います。」「大学で外国語を学び、卒業後は免税店で働き、ヨーロッパのお客様を相手に外国語で接客していました。仕事が楽しく、非常に有意義な時間でしたね。」

親の側で過ごすために地元に戻る

―― 丹波篠山に戻られようと思ったきっかけは?

「母が病気になり、側にいたいと思ったことがきっかけですね。いずれは親の側で暮らしたいという想いが学生の頃からあり、ちょうど結婚した時期で出産や子育てを考えると今しかないと思い、決断しました。」

―― Uターンされてみてどうでしたか?

「近所の方々に良くしていただきました。子どもを連れて近所を散歩していると、“可愛いね、抱かして~”とよく声をかけてくれましたね。子育て中は子どもに付きっきりで面倒を見ていて、なかなか一人の時間をつくって息を抜くことができませんでした。でも、近所の方々が面倒を見てくださっている時は、自分一人の時間ができ、のんびりもできました。」

「また、近所のおばさまたちにはよく子育ての悩み相談に乗っていただきました。“自分の時の子どもはこうだったよ”と教えていただいたので、子育てのストレスはなかったです。本を読んでも、自分の子育ての方法は間違っているのかなと悩んでばかりでしたが、身近に気軽に質問できる人がいて助かりました。」

―― 学生の頃と比べて、近所の方への感じ方は変わりましたか?

「温かく見守ってくださっていると感じるようになりました。もし、自分に問題が起きた時、助けていただくのは、遠くに住む親戚よりも近所の人たちではないかと思います。」

地域の人たちとともに安心感のある暮らし

仙林さんは、まちづくりに関わるような地域を支える活動に参加する機会も多いです。

「昨年は、春日神社のお祭りで運営のお手伝いをさせていただきました。祭礼の細かい“しきたり”を教わりながら、務めさせていただきました。なかなか大変な仕事でしたが、貴重な体験をさせていただき、

地域の皆さんと交わって取り組めたことが何より嬉しかったです。」身近な人のために、そして自分が住むまちを盛り上げるために活動することは非常に”やりがい”があります。

「自分ができる範囲で参加すれば大丈夫です。同じ地域で暮らす人たちと助け合いながら暮らしていくのは、安心にもつながります。」

仙林さんの話を聞いていると、地域のコミュニティに参加することは煩わしいものではなく、困ったことがあったときに気軽に助け合えるゆるやかな繋がりだと感じました。無理しすぎず周りの助けを借りながら暮らしていける場がここにはあります。


Uターン女子life#5

植野 真理子 Tambasasayama-Osaka

年齢を重ねると自分が生まれ育ったまちがふと恋しくなる。地元を離れて都会に住んでいる方がよく言われる言葉です。子どもの頃に慣れ親しんだところで暮らしたくなります。

ふと丹波篠山が恋しくなる都会での生活

「地元を離れた大阪での暮らしは、憧れのアパレルの仕事に就けたこともあり、仕事もプライベートも充実し満足していました。」

このようにお話しされるのは、Uターンされた植野さん。現在は住まいのある丹波篠山から大阪に通勤されていますが、以前は大阪に住んでおられました。しかし、大阪での生活が5年ほど経った時に都会での生活に息苦しさを感じるようになり、地元に生活の拠点を移されました。

「大阪での生活が数年経った頃に、大阪での生活に落ち着かなさを感じるようになりました。休日に遊びに出かけてもなかなかゆっくりできずに、暮らしがせわしなく感じていました。」

「逆に、丹波篠山は人も穏やかでゆったりしていますし、緑も溢れていて心が落ち着きます。やっぱり小さい頃に慣れ親しんだ篠山の風土が恋しくなったんですかね。」

また、大阪に1 時間程度で行くことができ、アクセスには不便しないと話されます。現在は大阪まで通勤されており、大阪で好きな仕事をし、地元ではゆったりと落ち着いた生活を送られています。

「20代の頃は地元があまり好きではありませんでした。おしゃれな服があるお店が少なく、当時はもの足りなさを感じていました。早く大阪に出たいとすら思っていましたね(笑)。でも、大阪での生活にも疲れを感じ、一度リセットしてすっきりしたいと思い、丹波篠山に生活拠点を移しました。」

丹波篠山に帰って感じる親との距離の近さ

さらに植野さんは、Uターンされて親との距離感も大きく変わったと話されます。

―― 丹波篠山に戻ってこられて価値観に変化とかはありましたか?

「親の存在のありがたみを実感できるようになりました。特に結婚後なんですが、料理・掃除・洗濯等の家事全般を自分でするようになって、本当に大変だと感じます。今までは親がやってくれることが多かったので、ありがたみを感じます。なかなか面と向かって、ありがとうとは言えないですが(笑)。」

「昨日も親と一緒にぼたん鍋を食べました。住まいも実家と近いので気軽に会いに行けます。夫の実家も近くなので、畑で採れた野菜やお米をいただいたりと助かっています。」

―― 旦那さんのご両親とも仲が良いのですね。

「昨年の父の日は私と夫の両方の父親に来てもらい一緒にお祝いしました。なかなか互いに会う機会がないので、仲良くできればと思ってパーティーをしましたね。」

ご両親と住まいが近いこともあり、一緒にご飯を食べる機会が多いそうです。遠方に住んでいるとなかなか会う機会がないのですが、同じ市内に住んでいると気軽に会いに行けます。年齢を重ねる親に何かあった時に、すぐに駆けつけることができる安心感もあります。

都会ではなく地元でゆっくりと過ごしたい。地元に戻るか、都会に残るか迷われる方も多いのではないでしょうか。そんなときは、自分の思うままに一歩を踏み出すのがきっと心穏やかな生活につながります。


Uターン女子life#4

新藤 亜依 Tambasasayama-Kobe

自分にぴったりな仕事というのは偶然に見つかる場合も多いようです。じっくりと探している中でぱっと運命的に出会うような感じでしょうか。新藤さんは、地元に戻ろうと仕事を探しておられた時に求めていた仕事が見つかり、すぐに行動を起こされました。

福祉の仕事に就く。やりがいを見出す

大学で福祉を勉強するために神戸に移住された新藤さん。在学中に福祉の仕事が自分に合っていないのではと思われました。

「大学での介護老人保健施設の実習で、認知症の寝たきりの高齢者の方と接したんですね。認知症でなかなか意思疎通ができず、家族もあまり会いに来られない状態を見ていると辛い気持ちになってしまって。この分野の仕事に関わっていくと私の心がもたないと感じました。」

自分には向いていないと感じた福祉の仕事。しかし、新藤さんは就職先をどうするか迷われましたが、結果的に福祉の仕事に就かれました。

「何の巡り合わせかわからないですが、福祉の仕事に就きました。親に今後のことを相談し、そして地元の障がい者就労の求人を見て就職しました。正直初めは、何となくの気持ちでしたが、働いてみると福祉の仕事は、やりがいがありました。」

「商店街のお店で、実際に聴覚障がいをお持ちの方と一緒にパンを販売していました。手話をしながらお客様やスタッフと会話し、接客のサポートをしていました。」

地元で自分にぴったりな仕事を発見

市内で1年半ほど障がい者就労の仕事をされた後、様々なご縁で神戸で生活するのもいいなと感じられて、神戸に移住されましたが、その後、もう一度地元に戻ってこられました。

―― 神戸に移住した後に、もう一度Uターンしようと思われたのは?

「神戸での生活も5年ほど経ち、感じる魅力も減ってきたからですね。あと、親の側にいたいという気持ちもありました。そんな時に地元の社会福祉協議会の求人を見つけて、ピーンときました。直感的

に運命だと感じましたね。正社員雇用と経験が活かせる仕事を探していたので、すぐに応募しました。」

現在はボランティアと子ども食堂についての市民の方や団体からの相談対応や活動、ボランティアの募集に携わられています。

「入社してまだ1年目で慣れないことも多いですが、ボランティアさんの熱い気持ちに心が動かされますね。」

―― 丹波篠山に戻ってこられて、家族との過ごし方は変わりましたか?

「家族と過ごす時間は増えました。今までは仕事が忙しく、お正月に家族や親戚と集まって過ごすことはなかったのですが、今年は久しぶりに一緒に過ごしました。また、普段も祖母に出会いに行ったり、野菜を貰いに行ったり。家族との関わり方が少し変わりましたね(笑)。」

自分のスキルを活かせる仕事が、いちばん生き生きとできるのではないでしょうか。丹波篠山で自分が求める仕事を探すならば、丹波篠山市が運営する仕事情報サイト「classo」がおすすめです。
丹波篠山の求人が気になる方は、ぜひご覧になってください。